脚色を後押しした、原作者との幸福な関係
Q:藤井さんと前田さんのお話をお聞きしていて、プロデューサーの方がここまでしっかりクリエイティブに意見を発されるのは珍しいのかな?と思ったのですが……。
藤井:これはもう本当に、十人十色ですね。自分の経験で言うと、『青の帰り道』(18)や『デイアンドナイト』を一緒に作ったand picturesの伊藤(主税)プロデューサーは、クリエイティブを信頼してくれて、何も言わない。逆に『新聞記者』でご一緒したスターサンズの河村(光庸)さんとかは、もう明確すぎて「俺はこれがやりたいんだ!」みたいな(笑)。
Q:個人個人で、全く違うんですね。
藤井:というのも、テレビ局のプロデューサー、配給会社から出てきているプロデューサー、プロダクションからのプロデューサー、フリーランスのプロデューサー……全員出身が違うんです。キャスティングからプロデューサーになった人もいれば、制作部からプロデューサーになった人もいて、宣伝からプロデューサーになる人もいるんですよ。
脚本の作り方も皆さん違っていて、例えば今回浩子さんとすごくいい感じで脚本づくりできたけど、それを成功体験として他の人とそのままやると、全然うまくいかないこともある。脚本を作る中で大事なのは、相手の声をちゃんと聞いて、そこに何か自分のやりたいこと練り込んでいくこと。
やっぱり、プロデューサーによって映画ってすごく変わるんですよ。脚本づくりに対しては、厳しくても、何十回も直しをやらせてくれるプロデューサーの方を、僕は信頼しています。
Q:『宇宙でいちばんあかるい屋根』でいうと、最初は脚本家を立てるつもりだったけど、最終的にはおふたりで脚色された、と伺いました。どういった経緯でこの座組になったのでしょう?
前田:最初にご相談した方の見ている方向が、私たちとちょっと違うかなと思ったときに、藤井さんから「僕、書いていいですか」って、恐る恐る言われて(笑)。
びっくりしたのは、私は藤井さんに最初から書いてほしかったんです。ただ、とにかく忙しそうだったから、時間的にも精神的にも余裕がないだろうなと思って、遠慮していて。だから、藤井さんからそう言われたときは、驚くと同時にすごく嬉しかったです。
藤井:浩子さんが結構いっぱい言ってくるだろうなという予感があって、浩子さんと僕ともう1人いると、進むのが遅いかなって思ったんですよ(笑)。
でも根本には、浩子さんとふたりで脚本を作ってみたかったんです。プロデューサーと一緒に作ったことがあまりなかったので。
前田:じゃあ一緒にやろうって決まってからも、藤井さんはとにかくわかりやすいんですよ。いろんな想いを込めて一生懸命やってるものを腐されると、誰だってイラッとなりますが、藤井さんはそれをすごくストレートに出すんです。さっきの「赤字」の話然り……。
藤井:(笑)。
前田:でも、私はストレートに出してほしかったから、これだったら一緒にものを作っていけるなと思いましたね。さっき、藤井さんが「3ヶ月前に脚本を大きく変えた」と話していましたが、舞台設定を2005年にしたいというアイデアが出て。最初は、近未来という設定もあったんですよ。
藤井:最初は202X年みたいな、ドローンが空を飛んでるような、近未来風なファンタジーとかSFをやりたいって言ってたんです。
Q:へえ! 意外です。
前田:でも、「舞台を2005年にする」というアイデアを聞いたときに、なんか藤井道人、さらに本気になったぞって、ガッとエンジンが掛かった感じがしましたね。
藤井:一つ前の映画がかなり精神を蝕む作品だったので、結構あの時は不安定だったんですよね……(苦笑)。『新聞記者』を終えたから見えてきた感情があって、それで書き直したんですよね。
前田:そうかもしれない。ボロボロになってましたもんね。心身ともに。
藤井:本当にボロボロになりましたよ。もう今だからヘラヘラ笑いますが、あの時はマジでつらかったですね(苦笑)。
前田:でも、結果が本当に素晴らしいものになったからよかった。
Q:今回だと、原作者の野中さんもしっかり脚本に関わってくださってるじゃないですか。その上で「脚色もOK」と快諾してくださったとお聞きしたのですが、原作者の方とここまで密につながった作品は珍しいですよね?
「宇宙でいちばんあかるい屋根」光文社文庫
藤井:そうですね。脚本に対して「このシーンはなんでこうしたんですか」とか、一切なかったです。浩子さんが野中さんとまず関係性をしっかり結んでくれて、「この映画で表現したいことはこうなんだ」って、ちゃんとプレゼンしてくれたからこそだと思っています。
実は、2005年の話に変えたのも、クランクインの3ヶ月くらい前に精神的に不安定になって、野中さんに「この本で一番伝えたいことは何だったんでしょう」と、急に聞いてしまったときにいただいた言葉が大きいんです。
それは素晴らしいメッセージでした。その言葉があったから、また脚色させていただく勇気をもらえました。そういった意味でも、自由度はめちゃくちゃ高かったですね。
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野中さんからのメッセージ
「時は移ろっていく。時間は、だれもかれもを同じ形のままにしておいては、くれない。
残酷で哀しい重しが、心に漬物石みたいにごろんと居座ってしまう、そんな日々はきっと何度もあるだろう。
でも、思い出す。そっと振り仰げば、いつでもそこにあるのは、さん然と輝き、私たちを守ってくれる屋根のような存在だ。
今はその下にいるからわからなくとも、心を自由にさまよわせれば、きっとその屋根の輝きが見えるだろう。
なくしたと思っていた思い出や別れの記憶は、瓦の一枚一枚となり、いつだって連なってそこにある。
すべてがいとおしい光を放って、そこにいてくれる。」
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前田:野中さんは、原作から変えることをすごく面白がってくださったんです。「藤井さんや前田さんが作ってきた作品、本当に好きなものでした」ともおっしゃっていただいて、「藤井監督がこの話をどう料理していくのかが楽しみでたまらない」と。
ちょっと驚きなんですが、野中さんの作品が映画化されるのは、これが初めてなんです。他もいろいろ映像化の話はありつつも成立に至っていない中で、野中さんは「1作目が藤井監督で本当に良かった」と常々言ってくれていて。『新聞記者』で商業的な成功を収める前から、監督への信頼が変わらないんですよ。そこはプロデューサーの私の仕事も、すごく楽にしてくれました。
Q:素敵なお話ですね。
前田:今回私は、途中段階のものも野中さんと共有したんですね。監督によっては「途中段階のものは見せたくない」って言う人もいますが、藤井さんは野中さんをすごく信頼してたし、こっちの気持ちや意見をきちっと拾おうとしてくれる。そういった意味でも、本当にスムーズでしたね。
Q:じゃあ、もう今回はすごく健全な現場だったんですね。
藤井:もう、近年稀にみる健全さです(笑)。
前田:だって、現場に来た監督のマネージャーの方が、「藤井さんが現場でこんなに穏やかに笑ってるの、初めて見ました」ってすごく嬉しそうに言って、他の現場はどんだけなんだよと私は思いました。
Q:(笑)。
撮影現場での藤井監督。手元には脚本が。
前田:でも、監督だけじゃなくてキャストの方々も「本当に楽しかった。終わってほしくなかった」って言ってくださる現場でしたね。外出禁止令が出るような猛暑の中での撮影でしたが、みんな元気。監督が楽しんでるとみんながついていくんだなっていう、良い例でしたね。
藤井:どの現場もパズルだと思っていて、自分も監督っていう1個のピースで、全員素晴らしい人で固めても、素晴らしい映画になるとは限らない。『新聞記者』だって即席のチームで、すごく大変な現場でしたしね。関わった人たちは、あの映画があれだけの広がりを見せるって多分誰も思っていなかっただろうし……。だから今回、現場の段階で「これは良いものになるな」って思えたのは、とても珍しいというか、自主映画作ってる時に雰囲気がちょっと近かったですね。みんながみんな「自分の映画だ」と思ってくれていた。
これはプロデューサーの力でもあり、もしかしたら監督のって言ってくれる人もいるかもしれませんが、やはり主演の清原果耶さんっていう17歳の女性の凛とした姿に、みんなが夢中になったひと夏だったなって、今は思います。そこに桃井かおりさんというレジェンドが出てきて、ふたりのケミストリーを毎日見られるのであれば、映画が好きな人たちは興奮しますよね。