主流じゃない映画にも市場の獲得が必要
深田:自分としては非常にセンシティブというか、言葉選びが難しいところなんですけど、正直、映画祭で賞とかいただいてますが、今でも自分は有名か無名かで言ったら、ぜんぜん有名ではないと思っているんです。いわゆるヒット作を出したこともないですし、東宝とか東映とか大きいところで撮ったことがあるわけでもないですし。
これまでも、自分の映画って、国内での映画館の公開館数が100館を超えたことはないんですね。例えば前作の『よこがお』は、最初は18館で公開だったんです。なので、100館どころか70館、80館くらいまでしか規模が広がったことはない。日本でも、今でも全然知られてない存在だとは思ってます。
でも、それはちょっと仕方ないところはあると思っていて……、いや、もちろんヒットを出したいとは思っているんですけど(笑)。ただ映画祭の仕組みと興行とは、原理がちょっと違うんですね。映画監督が日本で有名になるというのは多分に市場で成功すること、広い市場を獲得することが、映画監督だったり、音楽だったり美術家だったり、ここは敢えて芸術家という言葉を使いますけど、そういう芸術家たちの大きな評価軸になりやすいんですね。
一方で、映画祭がそもそもなんで始まったかっていうと、だいたい20世紀半ばにカンヌだったりベルリンだったりの三大国際映画祭が始まったわけですけど、映画はどうしてもお金がかかる表現だから、放っておくとものすごく市場の原理に絡め取られやすいんです。映画を1本作るのに、数千万とか1億とか2億が平気でかかってしまう。つまり、大きな市場を獲得しないと映画が作れないので、どうしても市場原理主義的な作品作りが主流になりやすいんですね。つまり、娯楽性が高いものや共感性が高いもの、例えばみんなが泣ける映画とかですよね。
そして主流においては、やっぱりハリウッドはすごく強いんです。世界には英語話者も多く、市場が広いし、エンターテインメント性が高いものを作る土壌を持っている。つまり市場原理主義の中では、放っておくと映画の多様性がハリウッド的なエンターテインメントに駆逐されてしまうんです。だから、市場原理とは別の評価軸を与えて、主流ではない映画にも小さいながらも市場を獲得させていくというのがある種の公的意義なんです。だから、映画祭での評価と、市場の評価とが必ずしもイコールにならない。そういう映画作家は、自分に限らず多くいるとは思います。
だからといって、自分の人気がないのを正当化しようとは思ってないですよ(笑)。もうちょっといろんな人に観てもらえるようにコツコツがんばろうと思っているんですけど、ただ、すべての映画が100万人、200万人に観られることを目指し始めてしまうと、あっという間に映画の多様性はなくなっていくはずなんですね。だからきちんと、自分としては、自分の映画を観たいと思っていてくれる人を、地道に増やしていくことが大事だと思っているんです。
これは不思議な話なんですけど、少なくともフランスはそれに成功してるんです。自分の映画が日本よりもフランスの方で成功してるっていう話だけじゃなくて、フランスの文化が映画の小さな市場の獲得に成功してるんです。
Q:深田監督の作品は、フランスでは何館で公開されているのでしょうか?
深田:日本で18館で始まった『よこがお』は、フランスでは最初は120館で公開されて、200館まで広がりました。実際、フランスだってベストテンに入るような映画は基本的に娯楽映画が多いですし、ハリウッド映画やアニメ映画が人気です。
Q:フランスは、実はフランス産のバカげたコメディ映画が大ヒットすることがすごく多いですよね。
深田:確かに、フランスには国境を越えないようなドメスティックなコメディは多いですね(笑)。一方でフランスは、自分みたいな特別有名なわけでもない監督が撮った、『淵に立つ』みたいな比較的暗い家族を描いた作品を観たいと思ってくれる映画ファンの数が、やっぱり日本より多いんですよ。でもフランスの方が人口は少ないんです。
フランスの小学校では、映画教育として小津安二郎を見せていたりする。そういった多様な作品を観ていく土壌をずっと作り続けてきた歴史があって、市場にも差は出てくるように思います。東京国際映画祭も、日本における作品の多様性、鑑賞の多様性を増やしていく役割を担っていると思っているので、がんばって欲しいと思っています……って、長く話しすぎたので、ちょっと強引に落としましたけど(笑)。