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第33回東京国際映画祭 Japan Now部門 深田晃司監督 映画祭には市場原理とは別の評価軸を与える公的意義がある【Director's Interview Vol.89】

第33回東京国際映画祭 Japan Now部門 深田晃司監督 映画祭には市場原理とは別の評価軸を与える公的意義がある【Director's Interview Vol.89】

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映画の共感性を高めることが近道とは限らない



Q:映画の多様性と商業的成功はなかなか両立しないというジレンマのお話がありましたが、監督はこれまでの作品で多様性を意識してこられたのでしょうか?


深田:それはないです。たまたま作りたいものが、こういった作品になっただけで。


Q:たまたま、ですか?(笑) では作品がヒットして大手スタジオから大作映画のオファーが来るのも大歓迎ですか?


深田:それは先方の自由なので、その時に考えたいと思いますけど(笑)。正直自分は、映画監督になるってことに興味があるわけじゃなくて、自分が観たい作品があるから、映画を作ることに関心があるんですね。そのために、やっぱり自分の作品を観てもらえる市場を広げていくっていうことは大事だと思っています。


例えば自分が本当にやりたいわけじゃない原作なんだけど、多くのファンがいるからやってみようだとか、あるいは本当はこういうラストじゃない方がいいんだけど、共感してくれる人が増えるからハッピーエンドにしようとか……って、いま特定の作品をなにもイメージしているわけじゃないですよ(笑)。でも、共感性の高い作品をやることによって観てくれる人は増えるのかも知れないですけど、それをやっていくのが自分がやりたいことへの近道なのかな?って考えた時に、自分にとっては近道には思えないんです。だから未だに実感としては自主映画の延長ですね。


Q:では、職業監督という意識はあまりない?


深田:かなり低いです。申し訳ないんですけど、ないですね。それで怒る人もいると思うんですが、自分がプロかと言われてもそういう自覚がないんです。『本気のしるし』にしても自分から持ち込んだ企画でしたし、いまだに自主映画が続いているという意識でいますね。


Q:とはいえ、やりたい企画を温めたまま5年、10年撮れないみたいな映画監督もざらにいると思うんです。深田監督がコンスタントに新作が作れている状況は、ある程度、市場の原理が働いている結果ではないのですか?


深田:自分でもここ10年を振り返ると、ひと言でいうと恵まれてきたなと思ってます。自分の努力や才能だけじゃないことは強く感じています。コンスタントに一年か二年に一本のペースで長編映画を作れていて、必ずしも大きくヒットしているわけじゃないですけど、一緒に映画を作りたいと思ってくれるプロデューサーだったり、仲間がいるっていうことは、非常に恵まれていますよね。ただ、自分がいつ10年間作れないみたいなことになるかは本当にわからないので、そういうリスクとは常に背中合わせだとも思っていますが。


Q:深田監督のこれまでのキャリアで、例えばラストを変えればもっと出資が得られたような可能性のある作品はあったんでしょうか?


深田:出資が得られたかどうかっていうのはケース・バイ・ケースですし、結局は結果論なんでわからないんですけど、例えば『淵に立つ』なんかで、最後はもっと笑顔で明るい要素を残して終わらせられないかなと言われて、自分はそれはやめておきます。みたいなやり取りがあったことはありました。



そうしていたらもっとお客さんが増えていたかどうかはわからないですけど、お客さんが腑に落ちやすい内容だとか、例えば殺人鬼がいたら、なぜ彼はその殺人を起こしたのかっていう理由を明かすか明かさないかだけでも、お客さんの感じ方はだいぶ違ってきますよね。


それで面白くなるかつまらなくなるかはわからないですし、強い娯楽性や共感性を持った作品が悪いっていうわけではもちろんないです。ただ、ヨーロッパの制度設計がどうなっているかと言えば、商業性の高い作品と商業性の低い作品が共存できる多様性を追い求めているということなんだと思います。


極端な例ですが、ジャン=リュック・ゴダールがリュック・ベッソンに近づく必要はないし、リュック・ベッソンがジャン=リュック・ゴダールに近づく必要はない。ただ日本の場合は、ゴダールがベッソンに近づくようなことがどうしても求められてしまうんですね。ある程度の娯楽性を取り入れることで、興行に保険をかけるみたいな形ですよね。


その保険が何かというと、お茶の間でみんなが知ってる俳優をキャスティングしたりとか、内容的にもうちょっと腑に落ちやすいようにわかりやすくしてくれないかとか、あるいは音楽を入れてもっとわかりやすくしてほしいとか。そういうことでやりたいことが少しずつ変わっていくような状況はありますよね。フランスでもそういうことがゼロではないだろうけど、少なくとも、商業性の高いものと低いものがきちんと共存しやすいシステムになるとは思っています。


Q:確かに深田監督は、一般的には腑に落ちやすくない映画を作り続けていますよね。


深田:繰り返しますけど、自分の映画がヒットしてもらっても、何の不満もないんですけどね(笑)。自分では、本当に面白いものを作ってると思っているので。




Q:『淵に立つ』の家族像も、監督の中では普通の家族の姿なんだと仰っていましたよね。


深田:そうなんです。別に、特別に嫌なものを見せようと嫌がらせで作ってるわけじゃなくて。みんなそんなに特殊に感じるんだなと驚いたんですけど(笑)。ただ、腑に落ちるか落ちないかというところで言うと、そこはやっぱり受け止められ方ですよね。


自分はよく「100人観客がいれば100通りの見え方が分かれる作品にしたい」と言うんです。なるべく人の想像力に対して開かれたものにしたい。やっぱり映画の力ってすごく強いんですよね。映画館でみんなでひとつのスクリーンを見る体験は、ものすごく強い。作り方によっては、観ている人をひとつの同じ気持ちに共感させていく、埋め尽くしていくっていうことができる。そして、そういう作品の方がどちらかと言うとヒットしやすいですよね。


そういう狙いで失敗している映画もありますけど、自分はそういった表現はプロパガンダと表裏一体だと思っているので、できるだけ避けたいと思っているんですね。そうなってくると、比較的共感性は低くなってきます。不特定の多数のファンを獲得することができないとは言いませんし、自分の不徳の致すところで、もっと大勢の人に観てもらえるようにがんばろうと思っていることは大前提としてありますけど、簡単にいかないのは仕方ないとも思っています。



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