「ほっこりした日常」とか見たくない
Q:沖田映画では、ある程度限定された空間で、普通の日常を舞台に描く作品が多い印象があります。エピソードの積み重ねで成り立っていることもあり、編集ではどのようにつないでも成立しそうなイメージがあります。編集では脚本通りにつなぐのでしょうか?それともシャッフルして色々とトライアンドエラーするのでしょうか?
沖田:基本は脚本通りにつなごうとしているのですが、僕がよく一緒にやる編集技師の佐藤崇さんは、脚本とは違うつなぎを提案してくれることもあります。こっちは脚本通りの流れで頭が凝り固まっているので、提案されたときは戸惑うこともあるのですが、見てみると佐藤さんが提案してくれたものが良いこともありますね。
Q:ここで再び脚本についてお伺いしたいのですが、限定空間で描く何気ない日常を、いつもどうやって面白くしているのでしょうか?
沖田:これでも一応、脚本の縦軸と言われる、いわゆるストーリーを考えながらやってるんですよ。ただ、僕の映画ってあんまり人も死なないし、暴力も出てこない。大した事件もないまま話を作ることの方が多いのですが、これが本当に難しい。でも何かしら出来事は起きていて、色んなことで悩んだりしている。それは比較的自分たちの生活してる温度に近いことなんです。そういう映画を作りたいと思っています。
でもそれをやり過ぎると、ただの日常スケッチになってしまうんです。僕としては日常スケッチの映画を撮るつもりもなくて、「ほっこりした日常」とか見たくないんです(笑)。ちゃんとそのときのテーマに沿ってドラマチックに映画を撮ろうとしているのですが、その結果がこうなっているんですよね。
僕はコメディ映画が好きだから、コメディとして映画を作っていられたらそれで十分なんです。だから日常の描写が多いのは、笑いのためだったりもしますが、その一方で、なんかいいなと見ている人に思ってもらうためでもあるんです。
以前、樹木希林さんが、「ストーリーの映画が多すぎて、ちゃんと気持ちを描いている映画が少ない」って仰っていたのですが、僕もストーリーありきじゃない考え方で映画を撮ってまして、今回の映画は特にそうなんです。もしかしたら、そこで何ができるのかと、いつも頑張っているのかもしれません。