初めて“宿命”から解き放たれて、自分らしく作品と向き合えた
Q:土井監督は「映画」と「テレビドラマ」という形態を行き来して、どちらでも傑作を作り続けている印象ですが、ご自身の中でのアプローチの違いなどはあるのでしょうか。
土井:若いときから映画はとても好きでしたし、映画に関われるのはどこか非日常というか、夢のような仕事ではあるなとは思いますね。僕は映画をやるとき、なるべく映画のスタッフの中に自分だけぽんっと入るというスタイルをとっているんです。
今や撮影機材も映画とドラマでそんなに変わらなくなってきているので、ドラマのスタッフで映画を撮ることももちろんできますが、映画をやるときはやっぱり映画というものを作ってきた人たちの文化の中で彼らの目線を知りたいし、学びたいという気持ちがあります。だから、恐れずに自分1人で入っていく形式にしています。
今回の撮影監督の鎌苅洋一さんは40歳ぐらいの若いカメラマンでしたが、彼の視点やアイデアにはとても刺激を受けましたし、すごくいい経験をさせてもらえました。
(c)2021『花束みたいな恋をした』製作委員会
Q:できる限りスタッフを固定する監督も多いので、土井監督のアプローチは珍しいですね。
土井:やはりどこかで、映画に対する憧れがあるんだと思います(笑)。あと、僕も何だかんだで30年くらいこの仕事をやっているので、自分を常にアップデートしていかなければいけないなという気持ちがあって。そのためにはやっぱり、色々な人と出会うことがとても大事だと思うんですよね。
「出会い」で言うと、『映画 ビリギャル』以降はずっとテレビドラマの仕事が続いていたんですが、その間に脚本家の野木亜紀子さんと『重版出来!』や『逃げるは恥だが役に立つ』をやって、坂元さんと『カルテット』をやって、その流れが自然に『罪の声』や『花束みたいな恋をした』という映画につながっていったことが、すごくうれしかったです。
Q:『花束みたいな恋をした』の脚本を読んだ際、ドラマと映画の違いのような部分は感じましたか?
土井:「映画っぽいな」「ドラマっぽいな」という感覚はなかったですが、テレビドラマをやっているとどうしても「わかりやすさ」を求められることが多いですし、自分もその状態に慣れてしまっているところがあります。そういう観点でいくと、先ほどお話しした「ふたりにしかわからない会話」は、テレビドラマだと「万人がわからないからダメだよ」と言われてしまうと思うんです。これが許されるのは、やっぱり映画の良いところだなと思いますね。
あとやっぱり、映画は時間も限られていますし、どれだけ観客の方々に“余白”を想像してもらえるのかがすごく大事だと考えています。それは映画を作るときにいつも意識していることですし、映画という高い壁をどうクリアしていくか――。自分自身がテレビの世界でずっとやってきたからこそ、映画に挑む際にはいつもちょっと“覚悟”が必要なんです。
ただ今回は、いままでで一番“気負い”が少なかったかもしれません。映画をやるというよりは、坂元さんの脚本を自分がどう読み解いてどう向き合うかということだけが、テーマだったんですよね。「テレビと映画」という宿命、まあこれは勝手に自分が自分に課してしまってるものかもしれないんですけど、そんなものから少し解き放たれて、純粋に作品のことだけを考えていられたんです。結果、出来上がってみたら、何か最も自分らしいものになった気がするんですよね。
Q:素敵なお話ですね。土井監督にとって、坂元さんが紡ぐ物語の魅力は、どんなところにあるのでしょう?
土井:どこか主流でない人たちというか、真ん中にいない、声の届かないような人たちにちゃんと光を当てるところですね。今回の麦と絹も、普通だと主人公にはなりえない人たちですし。
麦くんが就職して少しずつ何かが変わっていっても、決して彼のことを否定しない。そういうところに、坂元さんの人に対する優しさを感じますし、そこは守っていきたいなと思っていました。どちらかが悪役というわけではなくて絹の立場にも、麦の立場にも同じように共感できる、そのことが素晴らしいですよね。