映画監督における次世代の育成
内田:僕は実際に本広さんの下でデビューしました。昔、本広さんが「若い作家を育てたい」とグループを作っていたんですよ。僕は当時脚本家になりたくて、そこに入りました。それが映画の世界への第一歩です。
香田:それは何年くらい前の話ですか。
本広:映画『踊る大捜査線』の1作目を撮った後なので、1999年頃ですね。とにかく現場がしんどくて、作り方を全部変えていこうとしていた時期でした。
現場の問題を調整して各所をなだめていくのが、映画監督の役目ではあるんですが、なんでこんなに役者から怒られなきゃいけないんだと思いまして(笑)。そうは言っても圧の強い人たちに一人で立ち向かうのは難しく…。だったらチームを組んでやればいいやと思ったんです。
そのグループでは、内田くんに脚本を書いてもらったりとか、藤井くんにも演劇の方で手伝ってもらったりしていましたね。
藤井:そうなんです。僕は本広さんの演劇の脚本を書いていた事があります。
SYO:本広さんも行定さんも、映画祭を含めて下の世代を育てようという意識がすごく強いですよね。
内田:おっしゃるとおり二人はめちゃめちゃ若手を育てようとしている。僕もこの二人をとても褒めたいですね。日本の映画業界や映画監督で良くないのは、自分さえよければOKで若手を全く育てようとしないところ。その余裕がないのかもしれない。
でも、この二人はめちゃくちゃ育てるんですよ。映画祭をやるのはとても大変なことですけど、二人が携わっている映画祭には若い監督が沢山集まってきている(※行定監督はくまもと復興映画祭、本広監督はさぬき映画祭のディレクター)。もし邦画に未来があるのだとしたら、二人のような“大人の監督”がもうちょっと増えないと難しいかもしれない。
SYO:それこそ内田さんも、若手監督の映画をプロデュースをされたり、藤井さんも自身のプロダクションであるBABEL LABELに若手監督が集ったりと、皆さん4人は下の世代を育てようとしているイメージがあります。
内田:育ててしまうと逆に追い抜かれちゃうから(笑)、ちょうどいい入り口を示してあげられたりするだけでも良いと思うんですよ。若い子はそもそも入り口が分からないからね。育てちゃうと向こうのほうが売れっ子になっちゃう(笑)。
本広:確かにそれは何度もあるね。まじかよーって!ってくらい売れっ子になっちゃう(笑)。
内田:僕は本広さんに入り口を与えてもらったし、行定さんにも本当お世話になったので。僕らみたいな自主映画をやっていると、商業映画との接点がなかなか無いんですよ。だから、そこを作ってくれる人はすごく重要だなと思います。