テレビドラマ/CM出身からみた映画業界とは 〜メディアを超える映画監督〜 大根仁×吉田大八イベントレポート Vol.1(全2回)【CINEMORE ACADEMY Vol.22】
監督とは何をする人?
Q:監督の皆さんの最終ジャッジ、つまりご自身の演出がどこまで通るのかといった点もお聞かせください。今までにやってこられたお仕事と比較して、映画の現場で違いはありましたか?
吉田:CMも映画も、誰かのお金で撮っているんだという感覚は常にあります。でも映画ではなるべくそれを忘れようと、自分の中で書き換えているのかもしれないですね。だから何かを無理強いさせられたという感覚は、自分の中にあまり残らないです。結果的にはプロデューサーの意向に沿うことも当然あるのですが、最終的に自分が納得したのだから自分の意思だと、自分の中でナチュラルに書き換えられる。これはCM出身の特徴かもしれない。
CMであれば「クライアントがどうしてもOKしてくれなかった」で済むけれど、映画は監督の名前で出てしまう。だから、どんな事情があろうが最終的には自分がOKしてそこに至ったということに、納得せざるを得ない。
大根:映画って面白くてもつまんなくても、監督が褒められたりディスられたりする。テレビってそんなことなくて、大抵脚本家か主演ですよね。プロデューサーってずるいなと思ったりしてますけど(笑)。
吉田:あと、CMディレクターやテレビディレクターという職種は、映画の人から見たら監督っぽくなく映ることも多いでしょうね。例えばディレクターがOKを出した後でも、いろんな理由で「すいませんもう1回」って言うことあるじゃないですか。それは映画のスタッフや俳優たちからすると本来はありえない。OKは監督のものという前提があるから。このディレクターのOKがOKじゃないなら、誰が監督?って話で。
でも自分はそれに慣れてるんです。基本的に「だって、それは色々あるじゃん」という育ちなので。でも、その色々の事情の下でも何か結果を残さないと、CMディレクターにしてもテレビディレクターにしても次の仕事は来ないですよね。
一方映画の現場では、そこまでじゃなくても、すごく我慢してるフリをして他のことを通しやすくすることもあります。そういう風に、自分の出自をずるく利用してます。
大根:吉田さんは1本目の『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(07)の頃から、「映画監督!」という印象がありましたけどね。
吉田:現場のスタッフやキャストは誰1人そう思ってなかったでしょうね(笑)。僕がスケジュールをあまりにも意識しなかったから。「この監督は一体何がしたいんだ、何のためにこんなに長く粘っているんだ」とみんなに思われていたみたいです。
CMは頑張って撮ればその日で終わる。だから例えば0時終了予定を朝方まで粘ったとしても、まあまあ我慢してくれていたんです、まだその頃は。そんな感じのままクランクインしたから、1週間ぐらいは大混乱。
大根:『腑抜けども〜』の撮影はCMでも一緒にやられていた阿藤正一さんですよね。
吉田:そうです。阿藤さんは基本優しいから、CMの時は撮影が押しても何も言われたことなかった。でも映画がインして2日目ぐらいで早くも、見たことのない顔で「監督これじゃヤバイよ」と詰め寄られてはじめて、これは大変なことになっているんだと気づいた。だから1本目は色々と大変だったけど、面白かったです。違う文化と知らずに突っ込んだ感じで。
Q:CMと映画では予算規模も大きく違うと思うのですが、それが理由で演出に制限がかかるようなことはありましたか?
吉田:CMでも、海外ロケにバンバン行くような派手なタイプではなかったんです。自分の好きな小劇場の俳優たちと一緒に、こじんまりと作るようなCMが割と多かった。だから、映画の現場にもそういう意味での違和感はなかった。
ややギャップを感じたとしたら、CMを演出してる時には、時間とフィルムの制限をほとんど意識してこなかったこと。だから映画で「もう1回」と粘るたびに、現場の雰囲気が重くなっていくのがつらかったです(笑)。