最後は自分の中からしか出てこない
Q:伊藤さん演じる主人公、渡口淳の「淳」は阪本順治の「順」でもあるとのことですが、ご自身の投影は以前から意識されていたのでしょうか。
阪本:健太郎とは年が40歳くらい違うのに、俺にその脚本が書けるのかなと思っていましたが、健太郎と話して、父親との関係や彼の孤独なんかを聞くと、俺自身の父子関係に似通っていた部分があったんです。叱り方の分からない親父だったり、嫌われるようなことはお袋に言わせて自分は味方の態度を取るとかね(笑)。そうやって健太郎と話したことがヒントになったので、自分の実体験や当時の幼さみたいものを投影すれば何とか書けるかなと思いました。そういう意味では自分を吐露している部分もあるので、あの「淳」は俺の「順」という物言いをさせてもらいました。
Q:『半世界』のときも、稲垣吾郎さん演じる高村の中学生の息子に、監督ご自身を投影されたと聞きました。
阪本:あれもそうなんですよ。当時は、うちの親父が意識不明のときに撮影していたのでね…。実家は商いをやっていたのですが、自分は継がなかった。親の生業を継ぐか継がないか、もし自分が継いでいれば…、みたいなことを考えていた時期だったので、自然と出てしまったんですね。
他人の人生をお借りして、それをモデルに脚本を書くこともありますが、筆がスラスラ動くのは、自分が実際に感じたことや思ったことですね。いろんなことを換骨奪胎して書いていますが、結局最後は自分の中からしか出て来ないですからね。
『冬薔薇』©2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS
Q:本作も含めて阪本監督がこれまでの作品で描き続けてきた、“寄る辺なき”人間たちは、どこか共通するものがあります。これだけ価値観や環境が変わってきた現代でも、その本質はやはり変わらないものでしょうか。
阪本:人間のやることですからね。いつの時代も「今時の若いものは〜」ってリフレインされるわけで。ただ、社会の動きや世相、時代は無意識に感じ取るし、それによって映画も変わる。作る時代に添い寝するとでもいいましょうか。今回の場合はコロナ禍だったこともあり、世の中に閉塞感があって、多くの人が立ち位置を見失ったり、断絶があったりもした。そういうものは物語性とは別に“映画の匂い”みたいなものとして影響していると思いますよ。こんな状況だから、本当は観客が元気になるような映画を作ればいいんだろうけど、そうはならなかったね(笑)。
Q:淳とその周囲の若者たちの情景に加えて、人生の大ベテランたちがいるガット船の存在も印象的です。ガット船とその大人たちへの思いについて教えてください。
阪本:何度もガット船に乗せていただいて、船長とそのご家族と共に食事をしたり、乗組員の人たちの話も聞きました。空港にしろ湾岸のタワーマンションにしろ、あの方々の仕事がないと都市部は開発されていない。彼らはその地盤を作る担い手の一端なんです。ただ映画のためにガット船をお借りするのではなく、彼らをちゃんと描きたいという気持ちはありました。
お借りした船の乗組員は、船長とその10代の息子さん、50代の方が1人、70代の方が2人の計5人。70代の方のお一人は実際に船に住まれています。その船は船長の息子さんが後を継ぐことになっていましたが、乗組員の高齢化や担い手不足が切実な悩みになっている。また、下請けの中でもかなり下に位置するため値切られることも多く、船の燃料代も値上がりしてきている。まさに今の日本の産業構造の縮図ですよね。
一体いつの時代の話なんだと言いたくなるような状況ですが、これが今の日本。オリンピックも開催されましたが、あのにぎやかな裏ではこういう方々が働かれている。それはすくい取りたいと思いました。