ドキュメンタリーの強さを劇映画に持ち込む
Q:ツトムは沢田研二さん以外に考えられないくらいにハマっていますが、キャスティングの経緯について教えてください。
中江:僕をデビューさせてくれたプロデューサーの佐々木史朗さんが、昔から沢田さんのことを知っていて、それで本人に引き合わせてくれたんです。会いに行こうとすると、沢田さんは「自分をオーディションしてくれ」とおっしゃる。僕らスタッフは「オーディションされるのはきっとこっちだよね」と言っていたのですが、でもそうではなかった。沢田さんは「若いときの沢田研二を期待して来られてると思うけど、ご覧になっている今の姿が本当の私です。この歳を取った姿をさらけ出す覚悟はありますが、皆さんは本当にこれでいいんですか?」と、本気で話された。すごく誠実な方だなと思いました。その場で是非お願いしますと言いましたね。
Q:そもそもなぜ沢田さんだったのでしょうか。
中江:水上さん自身がモテモテの文士なんです。写真を見ても本当に色気のある人で、そりゃ沢田さんしかいないだろうと。60代、70代になっても色気があって芝居も出来る。沢田さんだなという感じでした。
Q:ロケハンをして場所が決まり、ツトムが沢田研二さんに決まり、そうして具体的なものが決まってくると、最初にエッセイを読んだ時のイメージから変わってきたりするものですか?
中江:そもそも「こういうものにしたい」というビジョンはあまりないんです。人の生き死や愛を撮るということが根底にあれば、それ以外は特に縛られるものはない。この家だからこう撮ろう、沢田さんだからこうしてもらおうと、決まったものを全部プラスしていくような作り方をしています。
『土を喰らう十二ヵ月』© 2022『土を喰らう十二ヵ月』製作委員会
Q:今回の撮影はドキュメンタリー性も強かったと聞きました。
中江:これまで僕がつくったものはドキュメンタリーの方が多いですから、それが大きいと思います。劇映画は基本的に物語を表現する必要がある。でもそれはちょっと不自由なことでもある。実は映画って本来は物語を描かなくても別によくて、本当はもっと自由なもの。僕は自由な方が魅力的だと思っているんです。ドキュメンタリーの強さは、シーンやシチュエーションの密度、濃い関係性、そこでしか撮れない映像など、描写の密度で見せていくところ。その強さをこの映画にも持ち込んで、もっと自由になれないかなと思ったんです。
Q:ドキュメンタリーはその場にあるものを撮っていきますが、劇映画の場合はその場にあるものは全て一から作ったものです。その意味ではかなり違うもののように感じてしまいますが、その辺はどう捉えていますか。
中江:フィクションとしての劇映画を作りたいと思っている監督にとっては、ドキュメンタリーはだいぶ違うものだと思います。ただ僕の場合、例えば家の窓や器などは、自分の世界観として作りたいわけではないんです。それらは全てツトムという人物像のために必要なもの。そうやって人物を掘っていくことがドキュメンタリーになっていくんです。登場人物がどう生きてきたかということは実在の人物と変わらないので、そこから全部発想していく。僕の映像表現として映画があるわけではないんです。この映画を取り巻く登場人物たちが絡み合って表現を作っているわけで、僕はそれを何となくいただいている。そういう意味ではドキュメンタリーとあまり変わらない。
もちろん役者さんがやっているっていうことでは大きく違いますけどね。ほかの監督の現場に行ったことがないので分かりませんが、僕はテイクもほとんど回さないし、1テイクくらいしか撮らないので、作り方はだいぶ違うかもしれませんね。
Q:今の話を伺うと、ツトムが飼っている犬の“さんしょ”は、その辺の地元の犬であるにも関わらず、名演技を披露していた理由が分かるような気がします。
中江:そうなんですよ。あの犬の本当の名前は「ももちゃん」というのですが、ももちゃんの生理を僕らスタッフがどれだけ分かるかということなんです。沢田さんの生理を僕らがどれだけ分かるか、それを分かった上で撮るとドキュメンタリーに近くないですか?「ツトムにはこういうことがあって、こういう人なんじゃないですかね」みたいな話は散々しましたが、こっちが求めているツトム像をやって欲しいとは一度も言っていません。それは全ての役者さんに対してそうですね。