石川慶監督が手掛けた『ある男』を観て思い出したのは、『砂の器』や『人間の証明』などの往年の邦画ミステリー大作。もしその系譜が存在するのであれば、本作はそこに位置する最新の映画だろう。それほどまでの熱量と重厚さ、そして面白さを兼ね備えた内容に仕上がっている。今回の作品では撮影監督が変わったこともあり、これまでとは違った印象があるものの、物語の牽引力やクオリティは石川監督ならでは。むしろスケールアップした感じすらある。
石川監督はいかにして『ある男』を作ったのか?話を伺った。
『ある男』あらすじ
弁護士の城戸(妻夫木聡)は、依頼者の里枝(安藤サクラ)から、亡くなった夫「大祐(窪田正孝)」の身元調査という奇妙な相談を受ける。里枝は離婚を経て、子供を連れて故郷に戻り、やがて出会う「大祐」と再婚。新たに生まれた子供と4人で幸せな家庭を築いていたが、ある日彼が不慮の事故で命を落としてしまう。悲しみに暮れる中、長年疎遠になっていた大祐の兄・恭一が法要に訪れ、遺影を見ると 「これ、大祐じゃないです」と衝撃の事実を告げる。愛したはずの夫は、名前もわからないまったくの別人だったのだ…。「大祐」として生きた「ある男」は、いったい誰だったのか。「ある男」の正体を追い“真実”に近づくにつれて、いつしか城戸の心に別人として生きた男への複雑な思いが生まれていくーー。
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マグリットの絵をどう使うべきか
Q:原作を読まれた後「他の監督に撮られたら悔しい」と思われたとのことですが、読んでいる最中も映画化が念頭にあったのでしょうか。
石川:以前の平野さんの作品は純文学な感じが強くて映画化は難しかったのですが、最近は語り口も柔らかくずいぶん開けてきた気がします。特に「ある男」は最初の数ページ読んだだけで「これは映画に出来そうだな」と。そのままイメージを膨らませて読み続けました。
Q:妻夫木聡さん演じる城戸は在日三世で、平野さんならでは視点で社会問題も織り込まれています。
石川:ハリウッド映画では、スペイン系の移民が普通に主人公になっていたりしますよね。世界ではそれがトレンドになっているのに、日本だけ取り残されている感覚がありました。社会問題をことさらフォーカスするのではなく、バランス良く映画の中に取り込みたいと思っていて、平野さんともそういうお話をしました。今回はうまくできたかなと思います。
『ある男』©2022「ある男」製作委員会
Q:脚本は『愚行録』(17)で組んだ向井康介さんが手掛けられていますが、向井さんへお願いした理由を教えてください。
石川:今回は平野作品ということで、単なるエンタメにしては絶対にダメだという思いがありました。そこをしっかり共有できる人となると、やはり向井さんかなと。『愚行録』の後もプライベートで飲みに行ったりしていて、向井さんにはすごく信頼感があるんです。
Q:脚本について向井さんとやりとりなどはあったのでしょうか?
石川:実は当初、自分で脚本を書こうとしていた時期がありました。最初の大枠みたいなものを書いた稿があって、それを「こんな感じ!」と向井さんに渡し(笑)、そこから取捨選択して組み上がっていきました。
Q:ルネ・マグリット「不許複製」が印象的に使われています。この絵は原作にも出てきますが、使用にこだわりはあったのでしょうか。
石川:なかなか難しい選択でしたね。やり過ぎるとあからさまだし、なるべくさりげなく出したかった。あの絵は『ある男』の主題をそのまま表してるような気がしていました。原作だとバーで隣にいた人から小説家が話を聞いて、それで書き始めるという設定なんです。それとは全然違う感じで映画は始めているのですが、あの絵があることによって、観る人が「ある男=城戸」という話を見る立場になる。そう感じさせることが大事な気がしたんです。
Q:ああいった絵の使い方は、日本映画では最近はあまり見ない気もします。
石川:『燃ゆる女の肖像』(19)の最初は、確か絵にフォーカスしていくショットで始まると思うのですが、それを見て「お、出来るかもしれないぞ」と。そうそう、あの映画からインスピレーションが湧いたんでした。今思い出しました(笑)。