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『大いなる自由』セバスティアン・マイゼ監督 何故それは映画でなければいけないのか?【Director’s Interview Vol.330】
この作品はクイアフィルムではない
Q:この作品はヴィクトールを通すことで、LGBTQの当事者以外にも追体験を試みます。
マイゼ:そうですね。まさにその通りで、その部分はヴィクトールを通して描こうとしました。ジョージ・オーウェルの「1984年」では、国家がプライバシーを侵害することが描かれますが、そのひどい状況は立場に関係なく皆想像がつきますよね。この映画も同じく、国家のせいで“自分の愛する人を愛せなくなる”という状況を描いています。そういう世界でしか生きられないということは一体どんなことなのか、この映画を通して想像してもらえたのではないでしょうか。
そして、ヴィクトールというキャラクターは、へテロセクシャルとホモセクシャルの境界を破壊する役割も担っています。ヴィクトールとハンスの関係は友情なのか愛情なのか、そもそも定義する必要なんてないんです。名称はどうあれ、お互いに対する深い気持ちがあれば、それは全て愛と呼ぶのだと思います。
ある方は「この作品はクイアフィルムではない」と言ってくれました。それはとても嬉しい言葉でした。この映画は人間や愛についての物語だと思っていますし、そもそもクイアやヘテロだとラベルを貼られること自体が好きではないんです。
『大いなる自由』©2021FreibeuterFilm•Rohfilm Productions
Q:実際に175条が施行されていたドイツでは、この映画の反応はどのようなものでしたか。
マイゼ:映画をきっかけにドイツやオーストリアで多くのディスカッションが起こりました。この法律のことは学校でも教えられず、今まで話題に上がることもなかった。ずっと無視されてきたんです。ドイツでは1994年に刑法175条が完全撤廃されましたが、オーストリアで完全撤廃されたのは、なんと2002年のことだそうです。ドイツではつい3年前に、175条の被害者に対して司法省が謝罪を行い賠償金を支払うという動きが出ましたが、既にほとんどの方が亡くなっていて、存命の方も「遅すぎる。謝罪もお金も要らない」という反応だったそうです。