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『6月0日 アイヒマンが処刑された日』ジェイク・パルトロウ監督 手法や視点を変えて描くホロコースト【Director’s Interview Vol.348】

© THE OVEN FILM PRODUCTION LIMITED PARTERNSHIP

『6月0日 アイヒマンが処刑された日』ジェイク・パルトロウ監督 手法や視点を変えて描くホロコースト【Director’s Interview Vol.348】

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アウシュヴィッツ強制収容所へのユダヤ人大量移送を指揮した、ナチス・ドイツ高官のアドルフ・アイヒマン。戦後はアルゼンチンへと逃亡を図るものの、イスラエル秘密諜報機関(モサド)に捕らえられ、イスラエルへと極秘連行される。その後4か月にわたる裁判の末、イスラエル政府はアイヒマンに61年12月に死刑判決を下し、翌年5月31日から6月1日の真夜中《イスラエル国家が死刑を行使する唯一の時間》の“6月0日”に絞首刑に処した。遺体は火葬され、遺灰はイスラエル海域外に撒かれたことが知られているが、実は、人口の9割がユダヤ教徒とイスラム教徒を占めるイスラエルでは律法により火葬が禁止されており、火葬設備が存在しない。では、誰が、どうやってアイヒマンの遺体を火葬したのか?


この史実に着目し新たな視点でホロコーストの傷痕を描き出したのは、俳優のグウィネス・パルトロウの弟であり、『マッド・ガンズ』(14)、『デ・パルマ』(15)などを手掛けたジェイク・パルトロウ監督。本人に話を伺うと、さすが、ドキュメンタリー映画『デ・パルマ』を監督しただけあって、映画的技術へのこだわりが止めどなく溢れてきた。



『6月0日 アイヒマンが処刑された日』あらすじ

1961年。4か月に及んだナチス・ドイツの戦争犯罪人、アドルフ・アイヒマンの裁判に、死刑の判決が下された。リビアから一家でイスラエルに移民してきたダヴィッド(ノアム・オヴァディア)は、授業を中断してラジオに聞き入る先生と同級生たちを不思議そうに見つめていた。放課後、ダヴィッドは父に連れられて町はずれの鉄工所へ向かう。ゼブコ社長(ツァヒ・グラッド)が炉の掃除ができる少年を探していたのだ。ヘブライ語が苦手な父のためにと熱心に働くダヴィッドだったが、こともあろうか社長室の飾り棚にあった金の懐中時計を盗んでしまう。それはゼブコがイスラエル独立闘争で手に入れた曰く付きの戦利品だった。居心地の悪い学校を抜け出し、ダヴィッドは鉄工所に入り浸るようになる。左腕に囚人番号の刺青が残る板金工のヤネク(アミ・スモラチク)や技術者のエズラ、鶏型のキャンディがトレードマークのココリコなど、気さくな工員たちはダヴィドをかわいがってくれる。ゼブコも、支払いのもめ事を解決してくれたダヴィッドに一目置くようになる。そんな時、ゼブコの戦友で刑務官のハイム(ヨアブ・レビ)が設計図片手に、極秘プロジェクトを持ち込んできた。設計図はアウシュビッツで使われたトプフ商会の小型焼却炉。燃やすのはアイヒマン。工員たちに動揺が広がる——。


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手法や視点を変えて描くホロコースト



Q:少年ダヴィッド、刑務官のハイム、取調官ミハと、立場の違う3人の視点で物語が構成されているのが印象的でした。


パルトロウ:その指摘は嬉しいです。ありがとうございます。例えば、観劇中に暗殺されたリンカーンの事件を映画化するとします。そこで、劇場や町で働いている人たちなど、一見リンカーンとは全く関係のないキャラクターたちを描きながら、大きな歴史の出来事に触れていく手法をとれば、より身近で強く伝わるものになる。そんなこと思いつつ脚本を書いていきました。


Q:リビアからやってきたユダヤ人(ダヴィッド)の視点を入れ込むことは、ホロコーストを題材にした映画ではこれまであまりなかったように感じます。そこに込めた意図があれば教えてください。 


パルトロウ:ダヴィッドは実在の人物で、少年時代の彼は実際に工場にいて焼却炉作りに関わったそうです。本人はイラク出身ですが、この物語ではリビアからイスラエルへやって来たユダヤ人(ミズラヒム)と設定しました。ミズラヒムの中にも、ホロコーストの被害を受け、実際にゲットーへ収容された方がいます。ユダヤ人と一口に言っても、国籍や人種は様々で多様性を持った民族。そういった、アウトサイダーである我々が知らないことに触れてもらいたくて、ダヴィッドのようなキャラクターを設定しました。



『6月0日 アイヒマンが処刑された日』© THE OVEN FILM PRODUCTION LIMITED PARTERNSHIP


Q:ホロコーストが起こった第二次大戦中ではなく、あえて戦後を舞台にしたことによる意義も強く感じました。


パルトロウ:ダヴィッドは戦後生まれでホロコーストは経験しておらず、当時のことはよく知りません。アイヒマンが誰かもよくわかっておらず、ラジオのニュースを聞くことにより徐々に知っていくような状態。それはまた観客も同じで、この映画でダヴィッドの経験を追体験することになる。そうやって今の時代に通じる映画を作りたかったのです。


また、クロード・ランズマン監督がドキュメンタリー映画『SHOAH ショア』(85)で使った映画的技術を、この劇映画でも試したかったこともあります。その一つが、“ゴーストカメラ”と呼ばれるもので、ホロコーストの経験談を聞いている際、カメラはその話者を捉えず風景のような無機質なものを映し出す手法です。通常であれば、その話に過去の映像などを重ねることが多いのですが、そういった映像はすでに『シンドラーのリスト』(93)に代表させるようなホロコーストを扱った映画ですでにたくさん見てきている。もうそれを超える映像を作れるとは思えません。であれば、それとは違った視点や手法を使い、観ている人に想像させることで自分事化させる作品にしたかったのです。





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