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『福田村事件』森達也監督 生粋のドキュメンタリストが作る劇映画が、日本の暗部をえぐりだす【Director’s Interview Vol.349】
虐殺シーンの演出
Q:クライマックスの虐殺シーンでは鳥肌がたちました。森監督がテーマとされている、人が集団になった時に発動する狂気が見事に表現されています。あのシーンは登場人物が多いので演出もかなり難しかったのではないでしょうか?
森:撮影がちょうど去年の今頃(8月)で一番暑いとき。しかもロケ地が京都だから特に暑いんです。現場には日を遮るものがなくて、なんだか夢うつつで撮影して、「撮ってみたら、こんな風になっていました」という感じですね。そんなに大した演出はしてないですよ。
Q:撮影した季節が良かったと?
森:それもあるんじゃないかな(笑)。冬だったら役者はもっと縮こまっていたと思います。
Q:ジェノサイドが描かれる映画は海外では多いですが、重要だと思うのは虐殺にいたるまでの人間同士がぶつかりあう異様な緊張感、それが醸し出すヒリヒリ感です。本作ではそれが見事でした。日本映画ではなかなかないと思います。
森:村人が行商人たちを日本人かどうか問い詰めるシーンが長いのですが、実際もそうだったらしいんです。やっぱり殺す側にも、ためらいがあったり、殺したくない人もいるわけで、そこを丁寧に描くようにした。そのことがヒリヒリ感になっているのかもしれません。
Q:普通なら、このシーンはそろそろ終わるかな、というところで終わらないですね。
森:はい、延々やっていますから。
『福田村事件』©「福田村事件」プロジェクト 2023
「監督を降りる」と言ったことも
Q:劇映画の編集はドキュメンタリーと比べていかがでしたか?
森:そんなに違いはないですよ。編集の基本はモンタージュで、それはドキュメンタリーも変わらない。ドキュメンタリーの場合はラッシュを見ながら、構成を作っていきますが、ドラマは撮る前に構成を考える。順番は違うけれど要素は同じです。そういう意味では、あまり迷いはなかったですね。もちろんカットによっては「表情がいいからもう2秒伸ばそうか」とかありますが、せいぜいその程度です。
Q:ただし、脚本どおりの編集ではないわけですよね。
森:僕が削ったシーンをまた戻されたり、脚本部との攻防があったことは事実です。
Q:森監督が譲歩した部分もかなりあったんですね。
森:譲歩というか、若松プロが中心となったスタッフの座組に僕は遅れてひとりで参加した形なので、チームの圧がすごかった。押しきったこともあれば、押し切られたこともあります。
Q: 森監督なら上手く説得して自分の意見を通すのかと思いました。
森:こんな環境では監督はできないと言ったこともありました。降りることも考えた。でもプロデューサーから、ここで降りたらクラウドファンディングなどで支援してくれた大勢の人たちの思いを裏切ることになると説得された。……でもとにかく、終盤はほぼ思うとおりにできたし、自分のテーマはしっかりと呈示できた。それは確かです。
言いたくなかった「用意、スタート」
Q:初めての長編劇映画なので現場での苦労もあったと思いますが、森監督は当初「用意、スタート」を言いたくなかったとお聞きしました。
森:今でも言いたくないんです。次もし劇映画を撮ることがあったら「スタート」は言わないようにしようと思っています。
Q:何故ですか?
森:「用意!」といった瞬間に僕も集中するのに、「スタート!」と声を出した瞬間に気が抜けるんです。それこそ陸上競技でクラウチングスタートの体勢になって、自分で「ドン!」と言ったら走れないじゃないですか。初めて現場で「スタート」と言ってみて、「これはダメだ」とわかって「かわりに誰かが言ってくれ」と頼んだんです。でも「それは監督が言うべきです」って言われたので、無理やり言っていました。他の監督たちはよく言えるなって感心します。
Q:あるインタビューで、森監督が「ドキュメンタリーでは撮影者が被写体に挑発されることもあって、その関係性を作品にとりこむけど、実は劇映画でも役者とそういう関係性が結べるはずだ」とおっしゃっていて、興味深かったです。
森:黒沢清監督が以前、「自分は役者にセリフを与えて、それをドキュメンタリーとして撮っている気がする」という意味のことを言っていて、確かにそうだなと。セリフをどう表現するかは人によって違うので、同じセリフでも役者さんによって違う演技になる。そういう意味では劇映画もやはりドキュメンタリーなんです。