©「福田村事件」プロジェクト 2023
『福田村事件』森達也監督 生粋のドキュメンタリストが作る劇映画が、日本の暗部をえぐりだす【Director’s Interview Vol.349】
『A』(97)、『FAKE』(16)、『i-新聞記者ドキュメント‐』(19)といった数々の傑作ドキュメンタリーを世に送り出してきた森達也監督。そんな生粋のドキュメンタリストが初めて長編劇映画のメガホンをとった。しかも題材は100年前の関東大震災時に起こった悲劇、朝鮮人虐殺。このテーマはこれまでの日本映画でほとんど取り上げられることはなく、まるでタブーのような扱いを受けてきた。そんなセンシティブな題材に、森は荒井晴彦らベテラン脚本家らと火花を散らしながら取り組み、見事な劇映画を作り上げた。出演者も日本を代表する名優、個性派が配置され、その熱量で観る者の心を離さない。『福田村事件』はA級のエンターテインメントなのだ。森達也監督はいかにして本作を作ったのか? 話を伺った。
『福田村事件』あらすじ
大正デモクラシーの喧騒の裏で、マスコミは、政府の失政を隠すようにこぞって「...いずれ は社会主義者か鮮人か、はたまた不逞の輩の仕業か」と世論を煽り、市民の不安と恐怖は徐々 に高まっていた。そんな中、朝鮮で日本軍による虐殺事件を目撃した澤田智一(井浦新)は、妻の静子(田中麗奈)を連れ、智一が教師をしていた日本統治下の京城を離れ、故郷の福田村に帰ってきた。同じ頃、沼部新助(永山瑛太)率いる薬売りの行商団は、関東地方へ向かうため四国の讃岐を出発する。長閑な日々を打ち破るかのように、9月1日、空前絶後の揺れが関東地方を襲った。木々は倒れ、家は倒壊し、そして大火災が発生して無辜なる多くの人々が命を失った。そんな中でいつしか流言飛語が飛び交い、瞬く間にそれは関東近縁の町や村に伝わっていった。2日には東京府下に戒厳令が施行され、3日には神奈川に、4日には福田村がある千葉にも拡大され、多くの人々は大混乱に陥った。福田村にも避難民から「朝 鮮人が集団で襲ってくる」「朝鮮人が略奪や放火をした」との情報がもたらされ、疑心暗鬼に落ち入り、人々は恐怖に浮足立つ。地元の新聞社は、情報の真偽を確かめるために躍起となるが、その実体は杳としてつかめないでいた。震災後の混乱に乗じて、亀戸署では、社会主義者への弾圧が、秘かに行われていた。そして9月6日、偶然と不安、恐怖が折り重なり、後に歴史に葬られることとなる大事件が起きる――。
Index
- 1曲の歌により映画化が実現
- とにかく加害者を描きたい
- 虐殺シーンの演出
- 「監督を降りる」と言ったことも
- 言いたくなかった「用意、スタート」
- なぜ朝鮮人虐殺は描かれて来なかった?
- とにかくこれはエンタメ
1曲の歌により映画化が実現
Q:『福田村事件』は当初ドキュメンタリー企画としてテレビ局に持ち込まれたそうですが、どのようにして劇映画として実現したのでしょうか。
森:当時は番組にならなかったので、文章にして「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」(2008年刊行)という僕の本に収録しました。それで一旦は気が済んだのですが、『FAKE』を撮ったあたりで、そろそろドラマをやりたいなと思い立ち、福田村事件を思い出しました。
福田村事件はドキュメンタリーにするには素材不足ですが、劇映画ならできると思い、企画書とシノプシスを書いて映画会社を回りました。でもこの時もやっぱりダメでした。その後にスターサンズの河村光庸さんから、劇映画の『新聞記者』を監督しないかとオファーが来ました。そのときはドキュメンタリーも合わせて監督できないかと打診されたけれど、物理的に無理だからと断りました。でもその後にいろいろあって劇映画の監督は降りることにしたので、ドキュメンタリー映画『i-新聞記者ドキュメント-』を撮ったんです。
『福田村事件』©「福田村事件」プロジェクト 2023
Q:その後、森さんと脚本家の荒井晴彦さんが出会うことで、企画が動き出したそうですね。
森:2019年に『i-新聞記者ドキュメント-』がキネマ旬報文化映画部門で1位になり、荒井さんの監督した『火口のふたり』(19)が一般映画部門で1位になりました。その授賞式の控え室が一緒で、そこで初めて会ったのですが、『福田村事件』についての話をしたんです。
Q:荒井さんも、福田村事件を映画化しようとされていたそうですね。
森:荒井さんはその1〜2年前に中川五郎さんの「1923年 福田村の虐殺」という歌を聞いて、映画にしたいと思っていたそうです。では中川五郎さんはどうやって事件を知ったかというと、僕が書いた「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」を読んだから。だからぐるっと回って帰ってきた感じです。
Q:ちょっと運命的なものを感じますね。
森:偶然なのか、必然なのか、ちょっと不思議ですね。