原作が無ければ映像化は不可能だった
Q:柳川監督がこれまで手がけられた作品の中には、「鬼太郎が見た玉砕 ~水木しげるの戦争~」(07)や「百合子さんの絵本 ―陸軍武官・小野寺夫婦の戦争―」(16)、「最後の戦犯」(08)、「気骨の判決」(09)など、戦争時代の日本にスポットを当てているものが多い印象があります。本作も含めどういった視点で企画を選ばれているのでしょうか。
柳川:僕は戦争ドラマが多いんです。戦争が起こると、みんな集団の論理でしか物事を考えなくなり、個人が蔑ろにされてしまう。そういった社会と人間を描きたい。去年は「やさしい猫」(23 原作:中島京子)というドラマをやりましたが、これは入国管理局の話でした。その前は「流行感冒」(21 原作:志賀直哉)というドラマで、スペイン風邪が流行った時代に今のコロナを重ねて描きました。描く舞台が過去でも現代でも、今の社会に対して「それは間違っていませんか?」と言いたいのかもしれません。前からそういうスタンスでした。一番尊敬する映画人はケン・ローチですしね。
Q:戦争や社会問題を扱ったドラマは、企画として通りやすい、通りにくいなどはありますか。
柳川:戦争ドラマに関しては、NHKでは8月ジャーナリズムの一環として作ってきた歴史があります。ただ、最近は8月になってもそういったドラマを作らない年もあるのですが…、そんな今でもやれる余地はまだまだあるのかな…、といった状況です。
昔から伊藤野枝と大杉栄には興味があって、若い頃に「ブルーストッキングの女たち」という宮本研さんが戯曲を書かれた舞台を観たのですが、それがすごく面白かった。それで二人の話をドラマ化しようと画策した時期もあり、恋愛ドラマの名手である脚本家の方にお願いして、四角関係を軸にした大正浪漫みたいな企画を出しましたが…、通りませんでしたね。関東大震災で虐殺された人を描くことがエンターテイメントとしてどうなのか、そして、社会主義者が主人公のドラマを商業主義ベースでやるのかと。放送界、映画界特有の、いわゆる忖度があったのかも知れません…。実際の所はわかりませんが…。
それを今回実現することが出来たのは、全くもって村山由佳さんの原作のおかげです。恋愛小説で知られる直木賞作家の村山さんが書いた、600ページにもわたる圧倒的熱量のこもった内容、そして大きな決め手になったのは、吉川英治文学賞受賞と「本の雑誌」で2020年のベストテン第1位という評価でした。いわば文学的な評価と大衆的な評価の両方があった。逆に言うと、それが無かったら実現しなかったかもしれません。
『風よ あらしよ 劇場版』©風よ あらしよ 2024 ©村山由佳/集英社
Q:関東大震災の虐殺や社会主義運動を扱いつつも、“女性の自立”というテーマが受け入れられた部分も大きかったのでしょうか。
柳川:#Me Too運動が起こり、時代の空気がこの物語を求めている感じはあったかもしれません。ヨーロッパやアメリカと比べて物が言いにくい日本で、しかも100年も前に、こんなにも強く発言した人がいたことにも驚きますよね。
Q:報道に圧力がかかっていると言われている一方で、ドラマではちゃんと意見を主張しているように思えます。そのような思いは制作側としてあるのでしょうか。
柳川:報道の分野は萎縮していて、もしかして本当のことを伝えていないのではないか、と感じる事が少しあります。ただ、真実と目されることをフィクションの力で訴える余地は、まだまだあるし、あると信じたいという気持ちはあります。
Q:ドラマのようなエンターテイメントを使って訴求しないと、今の人の心にはなかなか届かない部分もあります。
柳川:そうですね。そういう意味では、まさに吉高由里子さんに演じて欲しかったんです。人たらしの面も含めて、バランス感覚をすごく持ち合わせている人なので、吉高さん以外に考えられませんでした。
当時は吉高さんが主演した「最愛」(21)という大ヒットドラマがあり、その撮影が12月まで入っていました。それに対して、こっちは1月からの撮影予定で、ブランクが短い。僕は「花子とアン」(14)で吉高さんとご一緒したので、彼女の真摯な感じや真面目なところはよく知っていました。彼女は一つ一つにちゃんと向き合う人だから、準備期間が短い状況では受けてくれないのではないかと…。しかもこれは相当覚悟がいる役。断れたらどうしようかと思っていましたが、そういった状況でもやると言ってくれた。そこはすごく感謝しています。