セルフドキュメンタリーの名残
Q:ドキュメンタリーは対象と距離をとって客観的に撮っているイメージがありますが、宮地監督はゴリゴリ介入して、対象に寄り添っている感じがします。その辺はご自身で意識されていますか。
宮地:映像を始めたきっかけは、AV監督のカンパニー松尾さんの作品を観てすごく衝撃を受けたこと。セルフドキュメンタリーといって、松尾さんは自分自身も登場人物の一人として描くことが多かった。僕もその真似をして、20代のときはずっとセルフドキュメンタリーをやっていました。今回はそれを出来るだけ削ぎ落とす方向でやっていましたが、名残があったようですね(笑)。感情移入すればするほどドラマチックにもなるけれど、それが邪魔になることもある。プロとして、撮影や編集のうえでは、出来るだけ自分の気持ちは殺すようにはしているのですが、それでも残ってしまうのかもしれません。
Q:今回はこれまでやってきた手法を変えてみようと。
宮地:そうですね。セルフドキュメンタリーって疲れるんです(笑)。MOROHAのドキュメンタリーで『劇場版 其ノ灯、暮ラシ』(17)と『其ノ灯、暮ラシII』(20)という作品を作ったのですが、人生を削るような感じでやりきった。だからそれ以降の作品の、藤井風くんやBISHのドキュメンタリーは、基本的にセルフドキュメンタリーではありません。セルフドキュメンタリーだけだと広がりが無く、被写体の魅力を届ける邪魔にも成り得る。自分の存在がどうしても邪魔に感じてしまったので、今回もその流れで撮りました。東出昌大を描く上での一つの要素として、自分を使っている感じですね。
『WILL』©2024 SPACE SHOWER FILMS
Q:劇中には、週刊文春(CINEMA)や週刊女性などの雑誌記者の方々も登場します。そこはどういった思いがありましたか。
宮地:でっくんが突撃取材を受けたときに、僕はその場にいなかったんです。「こんな良いタイミングに何故自分はいないんだ?」と、撮りこぼした反省の方が大きかった。それで改めて、先方が追加取材する様子を撮影することにしました。でっくんは、週刊誌の方から「あまり人を信じない方がいいですよ」と言われていましたが、僕も同じ気持ちでした(笑)。でっくんの「人を信じないと始まらない」という考えには驚きましたね。聖人ですか⁉︎ってね(笑)。
Q:宮地監督が、記者に対して「東出昌大の人生を壊していることに対してどうお思いですか?」という質問をされたことが印象的でした。
宮地:そこは聞きたかったところですね。「後ろめたさとかあるのかな?」って純粋に思ってましたから。週刊誌の皆さんは、対象に近づくとやりづらくなる仕事でもある。仲良くなってしまうと、次にでっくんに何かあったときに撮りづらいですしね、先ほど話したセルフドキュメンタリーと一緒で、そこをどういう風に自分の中でケジメをつけているかが気になっていました。でっくんの気持ちよりも記者側の気持ちを考えていましたね。だから僕の気持ちとしては、記者の皆さんへの怒りなどはまったく無いんです。呼んだのは東出自身ですしね(笑)。