自分自身の純度100%の作品
Q:そもそもなぜ自主映画で撮ろうと思われたのでしょうか? 三島監督が審査されたPFFのグランプリ作品『J005311』(22)に触発された部分などがあったのでしょうか。
三島:PFFの審査員をやるときは、この映画を作ろうと既に決めていました。だからこそ余計に『J005311』が素敵に見えたというのはありますね。PFFの審査をした前年にも「東京学生映画祭」や「下北沢映画祭」などで審査員をやらせていただき、色んな作品に触れることが出来ました。伝えたいことが分かる作品もあれば、そうでない作品もある。でも皆やりたいことをやっていました。そこには影響を受けたかもしれませんね。ここまで商業映画の監督としてやってきていますが、自分自身の純度100%の作品を撮る必要がある。何度か立ち返る必要もある。それはここ何年かの審査員経験の中で気付かされたことでした。
この作品を作るときには、「商業映画のように物語を語ろうとしない」というお題を作っていたんです。商業映画の場合、面白く見せるために無理な展開や人物を登場させることが必要になる場合もあるかもしれませんが、今回はそれをせず、ゴツゴツとバランスが悪くてもいいから、いま目の前で起こっている感情を素直に撮ってみようと。今まで撮ってきた面白いカット割やギミックみたいなものは捨てて、役者の肉体に生まれている感情だけを写し撮ってみようと。
Q:物語を語らないことに対する不安はありませんでしたか。
三島:全然無かったですね。映画が淡々として物語が動かなくても、それこそ自主映画ならではですよね。
『一月の声に歓びを刻め』©bouquet garni films
Q:「この作品を撮りたい!」という強い意志と衝動がある中で、これまで培ってきた経験とスキルが邪魔になった部分はありませんでしたか。
三島:表現方法としては、何かを捨ててみようという思いはありましたが、予算の少ない中で撮り切るという意味では、今まで仕事をしてきた経験が活かせました。演出についても、今まで培ったものを一度捨てようと思いましたが、役者さんに対してはあまり変わらなかったかもしれません。演出って役者さんによって違うのかなと思うんです。例えば哀川翔さんには「自由に動いてください」とは言いません。動きを細かく説明して、ちゃんとカット割をして撮っていく。それにお芝居を足していただくのが、哀川さんには一番良い方法かなと。哀川さんは、背景や感情を全部動きに変換できるとても映画的な役者さんだと思うので、繊細な部分に集中していただきたく思いました。
一方で前田敦子さんには、前田さんが何かを感じていただける空間を作ることを心がけました。実際の事件が起こった場所で、「れいこは6歳のときにこう感じたんだろう」と、自分の経験も踏まえて、一緒に歩きながら細かく説明しました。そうすることによって、前田さんはこの街を感じながら言葉を発してくれるだろうと。それぞれの役者さんにとって、最も自然なお芝居が撮れると思う方法で演出しようとしたので、そこはいつもと変わりませんでしたね。