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『一月の声に歓びを刻め』三島有紀子監督 自主制作で分かった映画作りの原点【Director’s Interview Vol.387】

『一月の声に歓びを刻め』三島有紀子監督 自主制作で分かった映画作りの原点【Director’s Interview Vol.387】

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前田敦子とカルーセル麻紀、それぞれの受け止め方



Q:前田さんはストレートにれいこを体現する役ですが、何か質問されましたか。


三島:前田さんはものすごく悩まれた上で、この役を受けてくれました。「この映画は監督にとって特別な作品、本当に自分がれいこを体現できるのか」と、何度も何度も脚本を読んで考えてくださったそうです。結果、脚本をかなり読み込んで本読みに来てくださったので、私の中ではもう何も言うことはありませんでした。本読みで実際に言葉にしてくださったときは、「この作品はきっと力強い映画になるのだろう」と、確信みたいなものが生まれた瞬間でした。


実際の犯行現場を説明してまわっているとき、前田さんは私と手を繋いで歩いてくれました。きっと、私と心を一つにしようと思ってくださったのでしょうね。またその姿を、坂東龍汰くんとスタッフたちが、ずっと見守ってくれていました。



『一月の声に歓びを刻め』©bouquet garni films


Q:カルーセル麻紀さんにはどのような話をされたのでしょうか。あの雪の中で撮影は物理的にも相当大変ですよね。


三島:そうですね。大寒波が来てマイナス20度でしたから(笑)。その代わりものすごく綺麗でした。カルーセルさんが雪原を歩いていき、娘の遺体が打ち上がった湖のほとりで言葉を発するシーンがありますが、そこは1テイクで撮りました。足跡がついてしまうので一度しか撮れないし、体力的にも何度も撮るのは難しい。カルーセルさんって本当に大女優だなと思いましたね。映画には出てきませんが、自分の前で6歳のれいこが婦人警官に語ったシーンなど、繰り返し何度も想像してくださるんです。だから、あの雪原のシーンでは、「あの辺りにれいこの遺体が打ち上げられたんでしょうね」「当時はまだ男性なので、お父さんとしての声で、世界中の〝れいこ〟に届けてほしい」ということ以外、私からは何も言っていません。ご自身の中でいろんなことを想像しながら演じていただきました。湖の中に手を入れていますが、あれもご自身から生まれたものです。


カルーセルさんの役は当て書きでした。映画があったおかげで、私はここまで生き延びてこれましたが、同じように性の被害を受けた人の中には、「汚れた」と思って死を選ぶ人もいるかもしれない。そうなったときに、残された家族はどんな罪の意識を持っていくのだろう。もし私が死んでいたら、父親はどう思っていたのだろう。最初はそんな想像から始めました。もし自分の娘が死んだとしたら、娘を死に追いやった男性の象徴、つまり男性器が娘を死に追いやったと考えるのではないか。そしてもし、実際に自分の中に存在している憎むべき性器というものを切除するという行動に出てしまったら…。そんなことを考えていました。



『一月の声に歓びを刻め』©bouquet garni films


カルーセルさんは、生まれたときから女性になりたいと思っていた方なので、劇中のマキとは違いますが、自分の肉体にある男性器というものを憎み、自分の肉体を憎み続けた時間はすごく長かったはず。その方にこの役をやっていただけたなら、この人間の複雑な痛みをリアルにやってもらえるのではないか。それで、マキという名前にして当て書きしました。




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