“美”とは何か
Q:とにかく贅沢な役者陣でしたが、主演の本木さんと小泉さんに関しては今までのイメージとは少し違う印象もありました。
若松:彼らも年齢を重ねたからでしょうね。今回の小泉さん演じる安奈は『男と女』(66)のアヌーク・エーメをイメージして撮っていました。だから芝居をするというよりも、黙ってそこにいる感じでお願いしました。
本木くん演じる津山と安奈が約30年ぶりに会ったときに、二人は一言目に何を言うんだろうか。もし自分だったらどうするだろうかと、そういう興味が観ている人にも伝わればいいなと思っています。そうやって恋愛の要素を足してもらいましたが、そもそも倉本さんが言いたかった「美とは何か?」というのは、少しは伝わっていたのでしょうか?
『海の沈黙』©2024 映画「海の沈黙」INUP CO.,LTD
Q:「美とは何か」というよりも、一人の男の葛藤とその人生を強く感じました。
若松:それは倉本さん自身なんですよ。倉本さんの生き様自体が津山なんです。倉本さんのシナリオには彼の体の中にある怒りの火種みたいなものがいつも書かれている。今回の場合は、贋作と言われて美術の価値が変わるのであれば“美”とは一体何なのだ?という怒り。それを中井貴一さん演じるスイケンに言わせているわけです。「あなたは美を分かっていない」とね。金持ちや権力者の作用で美学を覆されるのであれば、一体それは何の意味があるのだと。
だからといって倉本さんは「美とはこういうものだ」という結論は出してない。倉本さんはテーマをセリフにしません。そこがまさに倉本イズムなのだと思います。
Q:一人の男の人生を描きつつも、主人公の津山は映画が始まってもなかなか出てきません。
若松:そこは問題でしたね(笑)。今までの倉本作品では冒頭から主人公が出ているんです。だけど今回は3分の1くらい経過するまで出てこない。倉本さんには「あんなに減っちゃ困るんだよ」って言われましたね(笑)。安奈が占い師に会う冒頭のシーンで津山の存在を匂わせたのですが、倉本さんにはそうは観てもらえなかった(笑)。
『第三の男』(49)も同じで主人公のオーソン・ウェルズはなかなか出てこない。でも最後は結局オーソン・ウェルズが全部持っていってしまう。この映画も同じで、最初からずっと出ていたような錯覚に陥るくらい、最後は本木くんが全部持ってく。それでいいと思いますね。