© 2024 CHANTELOUVE - RECTANGLE PRODUCTIONS – GOODFELLAS – PATHÉ FILMS
『エマニュエル』オードレイ・ディヴァン監督 言葉はイメージよりもエロティックになりうる【Director’s Interview Vol.463】
あの『エマニエル夫人』が現代によみがえった。エマニエル・アルサンの同名小説を映画化した1974年の映画版は、官能描写たっぷりの「ソフト・ポルノ映画」として一般公開され日本でも大ヒットを記録。あれから50年、現代を生きる“エマニュエル”とは……。
監督・脚本はオードレイ・ディヴァン。前作『あのこと』(21)で1960年代のフランスを舞台に、当時違法だった中絶を女子大生の視点から描いて数々の映画賞に輝いた才能だ。「人々と“痛み”を共有できるなら、“悦び”もきっと共有できるはず」と語るディヴァンは、現代の香港を舞台に、世界を飛び回って働くエマニュエルの欲望をあざやかに切り取った。
そこにあるのは、もはや私たちの知る『エマニエル夫人』ではない。ただセックスを描くのではなく、資本主義社会と欲望の関係、対人コミュニケーションとエロス、そして映画におけるエロティシズム表現への思索を詰め込んだ知的冒険だ。楽しくも複雑で、噛みごたえのある映画『エマニュエル』を読み解くヒントをたっぷりと語ってくれた。
『エマニュエル』あらすじ
エマニュエル(ノエミ・メルラン)は仕事でオーナーからの査察依頼を受け、香港の高級ホテルに滞在しながらその裏側を調べ始めるが、ホテル関係者や妖しげな宿泊客たちとの交流は、彼女を「禁断の快感」へといざない──。
Index
『エマニエル夫人』を現代に再解釈する
Q:なぜ『エマニエル夫人』を再び映画化すること、現代の解釈で描き直すことに興味を持たれたのでしょうか?
ディヴァン:前作『あのこと』が完成したあと、ただ撮りたいと思えるだけでなく、自分が作ることに恐怖を感じるような題材を探していました。プロデューサーに渡された小説を読んだとき、まさにその両方を感じたんです。「今、この時代にエロティシズムを映画で語ることができるのか?」が大きな課題でした。すべてを見せるのではなく、制約を設けることであえて見せない。観客の興味をかきたてることで、観る人が積極的に想像し、参加できる映画を作りたかったんです。
『エマニュエル』© 2024 CHANTELOUVE - RECTANGLE PRODUCTIONS – GOODFELLAS – PATHÉ FILMS
Q:映画史をさかのぼれば、初期の映画は女性の裸体を見世物として扱うことで人々の関心を集めていましたし、1950年代以降は、セックスやヌードを強調した興行ありきのエクスプロイテーション映画も多数作られていました。今の時代にエロティシズムを表現するうえで、制約を設けながら「見せる」べきだと考えたものはなんでしたか?
ディヴァン:現代はポスト・ポルノグラフィ時代とも言うべき、“すべてを見せ終えた”あとの時代だと思います。ですから、そんななかで「もっとフレームを広げよう、もっと見せよう」という発想は映画的にはありえない。この映画で目指したことは、フレーム内のテンションを高めることで、フレームの外側に対する想像力を刺激し、興奮をもたらすことでした。
たとえば、小屋のなかで娼婦のゼルダ(チャチャ・ホアン)がマスターベーションをするシーンがあります。脚本にもそう書いたのですが、身ぶりによって行為を描写するときに、身体をギリギリのところで見せず、そのかわり表情で彼女の快楽を表現したいと思いました。映画においては、女性の身体がクローズアップでバラバラに映し出されることがよくありますが、この映画では別のやりかたで女性の快楽を表現したかった。そして、その方法のひとつが「表情」だったのです。観客を刺激するために挑発的なやりかたを選ぶ映画は、ちょっと時代に合っていないと思うので(笑)。