
『THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE』オダギリジョー監督 ドラマから映画へ、意識したものとは【Director’s Interview Vol.523】
テスト無しだからこそ出会う奇跡
Q:オダギリ監督の世界観が色濃く反映された作品に感じましたが、映画制作という共同作業において、個人としての思いをスタッフ、キャストにどのように伝えているのでしょうか。
オダギリ:自分が脚本を書き、それを撮影する訳ですから、やっぱり皆さん「答えは監督の頭の中にある!」と思われるんですが、実は僕も答えを全部持っているわけではないんです(苦笑)。脚本の段階では、ある程度読み手の想像力に任せて、曖昧にしている部分もある。明確にビジュアルイメージを持っている部分もあれば、そうでもない箇所もあるので、そこを具現化していく作業はスタッフとの打ち合わせであり、コラボレーションなんでしょうね。少なくとも、この脚本を面白いと思って参加してくれているスタッフですから、僕も誠心誠意、リスペクトを持って向き合っています。
一方、俳優に関しては少し違うんです。自分が俳優だからでしょうね、全てのイメージが出来上がっています。なので、説明するのは簡単なんですが……、俳優にも色んなタイプがあり、こと細かく説明を聞いて芝居に挑みたい人もいれば、頭で考えるより感じたままやろうと思う人もいて。自分が後者だからか、この作品でオファーしている方々は大体が同じく後者の方たちなんですね。なので、ほとんどの人が「どういう意味なんですか?」とか「どうすればいいですか?」などとは聞いてきません。ある程度、自分の中で脚本を消化して、自分なりの解釈で芝居してくれれば良いんです。そのニュアンスが違えば、その時に初めて説明すれば良いと思っています。
Q:永瀬正敏さんや深津絵里さんの佇まいがすごく良かったです。あの不思議な世界をその人の存在で成立させていました。
オダギリ:まさに俳優の力ですよね。その場を飲み込むというか、自分の世界に染めてしまう強さがありますよね。深津さんがキャバレーで歌うシーンなんて、凄すぎてスタッフもみんな感動していました。目の前の芸術を浴びるような感覚でしたね。自分は俳優なので、同業者として信頼できる、尊敬する俳優だけにお声がけしています。なので、お引き受け頂いた時点で俳優には何の不安もありません。先ほどの話のように、余計な説明もしませんし、余計な演出をつける必要もありません。オダギリ組は基本、動きの説明だけしたら、テスト無しでそのままカメラを回します。それは前提として、そういうことが出来る俳優たちだからこそですね。
自分も俳優だから、芝居に飽きていく感覚が分かるんです。何回も同じことを繰り返していると当たり前のように飽きていきます。むしろ、良かった時の芝居をなぞるようになるんです。そうなると新鮮なものは生まれませんし、悪く言うと段取り的な芝居になるんです。自分はそれを避けたいので、なるべく初めて芝居を合わせる面白さを切り取るようにしています。テストで相手の出方を知ってしまうよりも、初めての奇跡を撮りこぼしたくないんですよね。
『THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE』© 2025「THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE」製作委員会
Q:お話を伺っていると、俳優とスタッフの力が入ることによって自分の思い描いた物語が変化していくことを、俯瞰で楽しんでいるように感じます。
オダギリ:どうなんでしょうね。自分もなるべく楽しみたいとは思っているんです(苦笑)。楽しみたいとは思っていても、やはり自分の書いた脚本に縛られている部分もありますからね。脚本はあくまで設計図のようなもので、「現場で変えていけば良い!」というような達観した心構えにはなれないんですよね(苦笑)。その辺りは自分にとっても大きな課題です。乱暴な言い方になるんですが、脚本を書いている時は、だいたい日が暮れてお酒を飲みながら書いているので、自分の思いのまま、楽しく自由に好きなだけ書き殴るんですよね。そうして出来上がった脚本を、スタッフやキャストと共に(めちゃめちゃ真面目に)撮影して行くんです…。酔って書いたんだから、酔って撮影するくらいで良いのに、そこは至って真面目にやっちゃうんですよね…。いや、話が少し逸れましたが、そのくらい自由で色んなアイデアを組み込めるような現場にしたい思いはあるんですが…、現実はなかなかそこまで柔軟に対応出来てないのが自分の欠点だと思っています。ただ、映画は多くのスタッフに支えられて完成するものなので、絶対的にコラボレーションに基づくものなのは確かです。
振り返ると、鈴木清順監督は、スタッフが質問しに来ても「そんなの知らないよ」「そんなことは自分で考えなさい」といつも答えていました。俳優が芝居に関して聞いても、「あなたたちはプロなんだから自分で考えなさい」と、やっぱり教えてくれないんです。黒沢清監督も似たようなところがあって、何かを聞いても「自分にもわからないんです」と言われてしまう。それは監督たちの演出なのかもしれないし、コラボレーションの引き出し方なのかもしれない。そうやって自分が答えを渡してしまうよりも、想像の範囲を超えた答えを持ってきてくれることを期待しているのかもしれない。本当にいろんなタイプの監督がいますね。