監督とは常に見守る立場
Q:幹夫と繁子のキャラクターは、高橋一生さんと呉城久美さんそれぞれ作っていった部分もあると思いますが、脚本で想像していたときと比べて完成した人物像はどうでしたか。
利重:やっぱり違いますよね。「ああ、こうなるのかぁ」と撮影しながら楽しんでいました。僕が映画を作るときは、自分が思い描く形に俳優をはめ込むのではなく、役を生きるために俳優が考えてきたものを見せてもらうようにしています。それが自分の想像と違うこともありますが、決して間違っているわけではない。いつも感心しながら撮影しています。
Q:監督が全てを細かく決めるのではなく、現場で俳優の演技を見て「答え合わせ」をしていくようなスタイルなのでしょうか。
利重:監督一人のイメージに執着してしまうと、映画は100%に届かず、80%や70%で止まってしまうんです。俳優だけでなく、美術も撮影も照明も録音もスタッフ全員でそれぞれ演出するものだと思っています。彼らが脚本を解釈してプラスアルファを持ってきてくれることで、自分が想像していた以上のカットが生まれる。特に、誰かがこだわって「ここはこうした方がいい!」と強く言ったときは、それを受け入れて撮影すると、そこに感動してくださるお客さんがいることもある。これこそ、たくさんの人間で作る魅力だと思います。信頼できるスタッフを呼びかけているので、彼らの提案が外れていることもそうそうない。そういう意味でも、監督は常に見守る感じなんです。

『ラプソディ・ラプソディ』(c)2026 利重 剛
Q:幹夫と繁子が部屋で言い合うシーンは、ほぼワンカットで撮られていますが当初はカットを割る予定だったとか。実際に撮ってみていかがでしたか。
利重:いやあ、緊張しましたね。自分の当初のプランとは全く違いましたから。僕は最初、「今日は一日リハーサルに当てて、明日から3日間かけてブロックごとに丁寧に撮っていかないか?」と提案したんです。しかし一生くんから「それではテンションが持たないと思う」と言われて。「じゃあ明日からにする?」と聞くと、「いや、今日やりたい」と。
俳優からそう突きつけられたとき、それを受けるか受けないかは監督として非常に大事な判断です。スタッフとも相談して「よし、やりましょう」と決めました。ただ、向こうもそれだけの覚悟を持って臨んでいるわけですから、こちらとしても「もう一回」が効かないギリギリの状態。撮影部も録音部も、機材が映り込まないように、かつ感情の動きに合わせてどう動くか。リハーサルを重ねれば動きは固定されますが、本番だけの感情で動くと予想できないことが起こり、誰かが失敗する可能性もある。ましてや監督である僕が写り込むわけにもいかない。あの日の緊張感はすごかったですね。
その場の流れや、その瞬間にしか生まれない本物の空気感。僕らもそれが映ると信じて撮っていましたが、誰よりも一生くんがそこを意識して引き出してくれたのだと思います。