歩きながらする会話
Q:登場人物の感情の起伏を抑えた演出が印象的です。
志萱:映画はフィクションですが、日常のリアリティを大切にしたい。現実の生活では、互いを思い合っていても核心に触れなかったり、言葉にならない感情が渦巻いていたりする場面が多くあります。感情をあえて抑え一見何気ない会話を重ねることで、観た人が「自分にもこういうことがあった」と、自分自身の記憶を持ち寄って映画に参加できる余白を作っています。特に僕にとっては「歩きながらする会話」が非常に重要なんです。
Q:その何気ない会話は飽きることなく心地よく感じました。2時間弱の映画としてリズムや抑揚はどのように構成されたのでしょうか。
志萱:脚本だけを読むと退屈に感じるかもしれませんが、画面作りで飽きさせない工夫をしています。例えば二人が並んで歩くバックショットで、公園の葉のそよぎを取り入れるなど、画としての心地よさを追求しています。
繰り返しになりますが、歩くシーンには強いこだわりがあります。歩きながらだと、明確な主題を持たない「とりとめもない会話」が生まれやすく、それが実生活における豊かな時間と重なる。言葉を使わなくても、歩く速度が合ったり、皮肉にも足並みが揃ってしまったりする二人の動きそのものが、関係性を表現してくれるんです。

『猫を放つ』© 2025 “Leave the Cat Alone” Film Partners
Q:劇中の雨のシーンも非常に印象的でしたが、あれは狙った演出ですか。
志萱:あのシーンの撮影でたまたま降っていたんです。雨が降ることで「二人だけの世界」という感覚がより強まる。ぴったりのシーンになりましたね。撮影を延期しなくてよかったです。
Q:雨が降ることで日常感が増したのか、同じ場所を自分も歩いたことがあるような、不思議な感覚になりました。
志萱:そうだとしたらめちゃくちゃ嬉しいです。それは自分自身の記憶を持ち寄ってくれたということですから。記憶というのは本当に主観的なものだ、ということですね。
Q:2人が歩くシーンでは、過去編は後ろから、現代編は前から長回しで撮っています。こだわった部分はありましたか。
志萱:そこは意識してします。現代編も後ろ姿で撮ることができますが、映画の後半という位置や、二人の関係を考えると、あの距離感で前から撮る必要がある。後ろから撮った方が格好いいのですが(笑)、対比という意味でもあそこは堂々と前から撮るのが正解だろうなと。
Q:不思議な「超常現象(霊障)」のようなショットも挿入されていました。あの意図について教えてください。
志萱:あれは、過去の楽しげな記憶が現代に侵入してくるイメージです。過去と現在に風のように通り抜けていく記憶の奔流を表現したつもりです。何気ない日常の中にこそ、不思議なことや神秘的なことがあると考えていて、それを地続きの出来事として映画に取り入れています。スタッフやキャストにはあえて詳しく説明しませんでしたが、一つのアクセントとして楽しんでもらえればと。