大学の卒業制作映画『春みたいだ』(17)でPFFアワードやTAMA NEW WAVEに入選。2020年にはndjcに選出され、制作した短編映画『窓たち』(20)が釡山国際映画祭で上映されるなど、映画作家として着実に歩んできた志萱大輔監督。待望の初長編作が本作『猫を放つ』だ。
記憶をめぐる物語の本作は、過去と現在で構成されているが、驚くべきは実際の年月を経て撮影されていること。過去と現在で人物造形の対比が素晴らしいと思って観ていたが、まさかそれが実際に重ねた年月だったとは…。
7年の歳月をかけて完成した『猫を放つ』はいかにして作られたのか。志萱監督に話を伺った。
『猫を放つ』あらすじ
写真家の妻マイコ(谷口蘭)との距離に悩む音楽家のモリ(藤井草馬)は、かつての友人アサコ(村上由規乃)と、思いがけない再会を果たす。その出会いは、とうに過ぎ去った愛情を、ふたりの間に呼び起こす。しかし、思い出はすれ違い、期待や欲望を含んだ記憶は、ぼやけ、歪み、それぞれの中で都合よく書き換えられながら現れる。そして長い散歩の終わりに、モリとアサコは、もう既に軌道を外れてしまった二つの人生と、それぞれが立つ〈今〉を、あらためて見つめ直すことに──。
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2018年の中編を長編として作り直す
Q:この物語はどのように思いつき、脚本に落とし込まれたのでしょうか。
志萱:着想については、この映画の作りそのものと重なる部分があります。まず、2018年に中編映画を撮ろうと思い、40〜50分の中編として完成させた同じタイトルの素材がありました。それはちょうど前作『春みたいだ』の直後に撮ったもので、「記憶」をテーマにしていました。本作の劇中で「互い違いのキス(同じキスシーンをきっかけ違いで2つ描く)」をする場面はまさに当時撮ったものですが、記憶の主観性や“曖昧さ”みたいなところをやりたかったんです。
ただ、「記憶」を扱うためには、それを思い出す「今」という別の時間軸がないと、映画として構成できない。それで2018年の時点では撮影が一旦ストップしたんです。そこから時を経て、2024年に再び撮影を行い、かつて撮った中編をある意味「記憶」として扱い、現代のシーンをその前後に配置することで構成していきました。他にも、自分自身の生活を見直すような自画像的な側面からも着想を得ています。

『猫を放つ』© 2025 “Leave the Cat Alone” Film Partners
Q:一旦ストップしたときの周囲の反応はいかがでしたか。
志萱:「とにかく早く作れ」と(笑)。
Q:まるでリチャード・リンクレイター監督の『6才のボクが、大人になるまで。』(14)のようですが、2018年の時点で「数年後に再び撮る」と宣言されていたのでしょうか。
志萱:いえ、宣言はしていません。ただ、主演の村上由規乃さんと藤井草馬さん、そして私の家が非常に近かったこともあり、撮影が止まっている間も、それぞれの芝居や絵画、音楽などの活動の話をしながら、「この映画をどうするんだ」という対話を断続的に続けていました。その時間が、もう一度撮ろうというきっかけになったんです。
コロナ禍も挟みましたが、ある種「遊び」の感覚というか、自分たちで遊んでいるような時間の過ごし方そのものを映画に入れていくようなイメージでした。 もちろん、「映画を作る」という点では真剣なのですが。