驚きがありつつも必然的なもの
Q:小さな子供が「ケーキを作る」ということが、こんなにも豊かな映画になることに驚きます。プロットや脚本はどのように作られましたか。
ハーディ:いくつもの段階を経ていますが、最初の稿はパッと書き上げることが出来ました。物語が固まったかどうか一番よくわかるのは書き手自身です。ある程度良いものが出来た段階で、サンダンス・ラボ(映画製作者向けの育成プログラム)に応募して合格し、メンターから多くのアドバイスをもらって内容を磨いていきました。それでも自分の中では、さらに高めなければならないと思っていました。「これでいける!」と思えるまで固まった後でも、現実の状況に適応して変えなければならない部分が出てきます。しかし現実から素晴らしいものが生まれることもあります。皆さんに完成版を観ていただく最後の最後まで、常に磨き続ける旅路でした。
その一つの例が、ラミアが部屋に入って、祖母のベッドが空になっているのを見つけるシーンです。脚本段階では、祖母はベッドにいて、亡くなる前にラミアとちょっとしたやり取りがあるはずでした。でも撮影しようとした時に「何かが足りない、祖母が亡くなる姿を直接見せるのは物足りない」と感じたんです。そこで、「彼女の姿を全く見せなかったらどうだろう?」と考えました。見つかるのは、祖母が一生頼りにしていた杖だけ。ラミアは杖を見て、ただ悟るのです。人は自分自身に正直になるとき、時に受け入れがたい現実を悟り始めるのだと思います。このように、映画とは観客に届くその瞬間まで、常に「再創造の旅」を続けるものなのです。

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Q:ニワトリを連れたかわいい女の子のロードムービーではありますが、その道のりはあまりに過酷で、厳しい現実がラミアの前に立ちはだかります。彼女が立ち向かう現実の幅や要素はどのように決められたのでしょうか。
ハーディ:そこはごく自然な流れで決まりました。要素を無理に詰め込むと不自然に浮いてしまうため、キャラクター自身に物語を導いてもらうアプローチをとったのです。また、私が脚本・監督・プロデューサーを兼任したことで、作品トーンのブレにいち早く気づけたことも大きいです。監督の役割は明確な意図を持って一貫した作品を創り上げることであり、プロデュースの段階に入ったことで、全体の要素をどう調和させるかを学ぶことが出来ました。
Q:主人公ラミアの横で描かれるサイードの存在が非常に対称的でもあり、大きな効果をもたらしていました。サイードのキャラクターに込めたものがあれば教えてください。
ハーディ:登場人物にはそれぞれ私自身の一部が投影されていますが、サイードは「現実主義」を、ラミアは「理想主義」を体現しています。与えられた環境で要領よく生きようとする彼と、自らの信念を貫こうとする彼女。本作はこの対照的な二人の衝突の物語でもあります。子供ながらに対立する彼らの姿は、人間の行動原理や信念のあり方について、興味深い洞察を与えてくれます。
Q:寓話的なトーンも感じましたが、ラストシーンの展開には驚きました。
ハーディ:かつて恩師が「最高のエンディングとは、驚きがありつつも必然的なものである」と言っていましたが、本作はまさにその「避けられない結末」なのです。映画的にも美しく、衝撃的なシーンになったと思います。もっと寓話的な結末にする選択肢もありましたが、観客が望むハッピーエンドの罠に逃げるのではなく、自分が描いたキャラクターや世界観に誠実であるべきだと、ある時点でそう感じたのです。この決断を貫けたのは、物語そのものからインスピレーションを得ていたから。商業的な都合や、観客受けを狙ったお仕着せの決断ではありません。