なぜ自主制作だったのか
Q:19歳で着想し、脚本を書いたのが21歳、撮影が23歳、完成は25歳と足掛け6年掛かっていますが、その間どのような経緯を辿ったのでしょうか。最初の着想と完成した映画で違いはありましたか。
西山:脚本の段階からはほとんど変わっていません。21歳の時に書いた脚本と本編はほぼ同じで、内容を少し削ったくらいです。描きたいテーマやエンディングも当時のままです。
制作期間が長引く中で、ドラマや他の映画、展示などを手がける機会に恵まれ、「今の自分ならこうすればもっと良くなる」という技術的な気づきはどんどん出てきました。ですが、21歳の時の自分が「これが最高に面白い!」と信じたパッションを大事にしたかった。後から手を入れるのではなく、その時々の自分が信じた感性や思いをそのまま反映させる。21歳で書いた脚本を信じ、23歳の自分が撮った映像を信じて、25歳の自分が編集する。その時々の自分が蓄積された、稀有な制作スタイルだったのかなと思います。
Q:その時々で「やっぱりこうした方が面白いかも…」という葛藤や揺らぎはありましたか。
西山:もちろん葛藤はありました。常に「絶対にこれがいける」と確信していたわけではありません。それでも、「完成すればきっといい作品になる」と信じて、19歳からの6年間作り続けました。
本作は100パーセント自主制作のインディーズ映画なので、当初は劇場公開される保証もありませんでした。だからこそ、「自分の名刺代わりになるような長編映画にしたい」という思いが強くありました。自分を出し切った時に、良くも悪くも自分らしさが浮かび上がってくる。現在の邦画業界において、100パーセント自分らしい作品を作り切るチャンスはなかなかありません。インディーズだからこそ、それをやり遂げようという意志が心の支えになっていました。今回はプロデューサーの坂本篤さんからも「西山さんが終わり(完成)と言ったら終わる」と言っていただいたので、締め切りにとらわれず徹底的にやり切ることができました。

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Q:自主制作とは思えないクオリティで作られていますが、製作はどのように始まったのでしょうか。
西山:最初は僕とプロデューサーの坂本さんの二人で始まり、商業映画として作る方向で動いていました。しかし、色々な映画会社と話を進める中で、この映画のテーマとやりたいことが商業的に難しい部分があると分かってきた。そこで「妥協して商業映画にするか、完全に自分たちの道を行くか」という二択を迫られ、どうしてもこの形で作りたかったので「自主制作でやろう!」と決断しました。
撮影は僕の地元である愛媛県で行いました。愛媛県や松山市の支援を受け、地元の学校など多くのロケーション協力を得ることができました。ホラー映画で実際の学校をお借りするのは通常難しいのですが、地元のバックアップがあったからこそ実現することができました。予算が限られている分、準備には非常に時間をかけ、2週間という長編としては短い期間で撮影を終えました。
Q:ホラー映画に対して自治体がバックアップしてくれたことに驚きますが、どのように説得されたのでしょうか。
西山:ラッキーだったのは、以前制作した『スマホラー』という縦型ホラー映画が「ショートショート フィルムフェスティバル」で最高賞を受賞し、それがきっかけで愛媛県の文化賞をいただいたことです。県から文化賞をいただいたことで、「愛媛県が応援している映像作家」というポジティブなイメージがついていた。また、本作は青春映画の側面も強いので、「これは“青春ホラー”です」という独自の言葉を生み出してアピールしました(笑)。「“青春ホラー”なら、少し怖い要素があっても大丈夫だろう」と受け入れてもらえましたね。