演じるのではなく、要蔵に“なる”
Q:一般の作品で普通の人を演じる時と、今回のようなある種特異な役を演じる時で、ご自身の中で違いはありますか。
滝藤:「キャラクターを作らない」ということでしょうか。前述した通り、周りが世界観を作ってくれるので、そこに上乗せして奇を衒わないようにしています。
何かを自分から表現しようとしたら、それはもう要蔵ではなく「滝藤」になってしまう(笑)。「滝藤が要蔵を表現した」ではなく、僕自身が要蔵にならないといけない。過去作の山﨑さんのシーンを何度も見つつ、それと同時に「どういう強欲な人間だったのか」「モデルになった事件はどういうものだったのか」を自分の中に落とし込み、それを信じていく作業でした。「セリフをどう言おう」とか「どういう表情をしよう」といった計算は一切なく、ただ「取り憑かれたかのように走ってくれ」と言われて、その通りに走りました。ポスタービジュアルを見て、自分でも「こんな表情をしていたんだ」と興味深かったですね。

『八つ墓村』滝藤賢一(田治見要蔵役)
Q:狂気に駆られていく要蔵を演じた後、役からはすぐ元に戻ることができましたか。
滝藤:多分、戻れているとは思います。でも実際は戻っていなかったのかな(笑)。自分では撮影が終わった後に役を引きずるような感覚はないのですが、周りから見たらどこか役に引っ張られている部分があるのかもしれません。『クライマーズ・ハイ』(08)に出演した時は、確かにそういうところはありました。役から「戻らない」というか、あえて「戻さない」というか。当時の僕はまだ新人だったので、周りの俳優さんたちに「こいつは元々ちょっと壊れているんじゃないか」と思わせるくらいでないとダメだと考えてました。
やっぱり今回も家にいても要蔵と久弥のことばかり考えていましたし、『八つ墓村』のことばかりを考えている。もはや普段の自分が何なのかもよく分かっていない状態でした。そう考えると、役から抜けられない部分というのはあるのかもしれません。自分の中で完全に抜け出せないということはないのですが、周りの人が見ていたらそう映るのかもしれないですね。例えば、トランスジェンダーの役をやれば、やはり家でもずっとそういう空気感になりますから。ただ、撮影が終わってまで憑依しているような感じではなかったはずです(笑)。