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『太陽を盗んだ男』を放った、ゴジと呼ばれた男【そのとき映画は誕生した Vol.4 中編】

©1979 TOHO CO., LTD. / Tristone Entertainment, Inc.

『太陽を盗んだ男』を放った、ゴジと呼ばれた男【そのとき映画は誕生した Vol.4 中編】

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『笑う原爆』から『太陽を盗んだ男』へ



 『笑う原爆』と題された分厚い脚本には、誰もがその面白さを認めつつ、このまま映画化することは不可能と判断せざるを得ないものだった。


 第一に、長さの問題があった。そのまま撮れば、5時間近くなることが予想され、配給を担う東宝との契約上、上映時間は2時間半以内に収めなければならなかった。


 また、題名に対しても、東宝からは〈原爆〉という直接的な表現は控えるよう要望があった。最終的に『太陽を盗んだ男』へ落ち着くまでに、『日本対俺』『プルトニウム・ラブ』『日本を盗んだ男』と改題されていったが、いずれも東宝からの反応は芳しくなかった。


 『週刊明星』(79年10月14日号)は、〈『プルトニウムラブ』は横文字でダメ。『日本を盗んだ男』は植木等の“無責任もの”と同一視されると、やはり製作サイドからクレームが出た〉と伝えている。補足しておけば、日本映画ではカタカナのみの題名や英語題ではヒットしないというジンクスがあったことや、東宝がかつて製作していた植木等の無責任シリーズならびに日本一シリーズと混同されるという判断があったようだ。


 実際に、これらの題名が付けられた脚本を読んでみると、改題だけでなく、内容も別の方向性を模索したり、撮影に向けてのブラッシュアップが行われた痕跡が確認できる。ここからは、脚本の改訂順に沿って、内容の差異を見ていこう。


 『笑う原爆』に続いて製本された脚本が、『日本対俺』である。この題名は、レナード・シュレイダーが、原案となる“The Kid Who Robbed Japan”を長谷川和彦のもとへ持ち込んできた際、その邦題として最初に考案されたものでもあった。なお、2023年に上演された赤堀雅秋の一人芝居でも同名題が使用されていたが、語源はここにあるとおぼしい。


 『日本対俺』のシーン数は137あり、分量としては『笑う原爆』を半分に縮めたことになる。そのせいか、ダイジェストというか、どこまで本気なのか訝しくなるものになっている。


 以下にその内容を見てみよう。


――原発に忍び寄る黒い影。黒尽くめの服装に目だけが白いため、パンダのように見える。1人なのか、複数人いるのかわからない。ラジコンのヘリを使ってガードマンたちを攻撃し、パンダは原発内に侵入し、やがて立ち去る。マスコミは、この事件でプルトニウムが盗まれたのではないかと騒ぎ立てる。


中学の理科教師である城戸誠は、家に風呂があっても湯につかりにいくほどの銭湯好きである。引率中の修学旅行でバスジャックに遭遇したとき、城戸は現場へ急行してきた山下警部が、銭湯でよく会う近所の男であることに気づく。


バスジャックの場面は、『笑う原爆』の時点で、皇居前広場で老人が天皇に面会を求める設定になっていたが、『日本対俺』では犯人は40歳前後に変更され、場所も指定されておらず、要求するものも、現金5千万円と女2人になっている。これは天皇を絡めたエピソードへのクレームがどこからか付いたために、外したのだろうか。


大胆に内容が簡略化されたこの脚本では、沢井零子がDJを務めるラジオに城戸がゲスト出演し、バスジャックでの英雄的行動についてインタビューされるくだりがあり、その席で、物理の先生なら、最近盗まれたと噂されるプルトニウムがあれば原爆を作れるのかと尋ねられる。


また、銭湯の場面が随所で挟まれ、バスジャック事件で怪我をした山下を城戸が見舞う場面でも、また銭湯で会いましょうとダメ押しするほどで、2人が銭湯仲間であることが異様に強調される作劇である。


また、政府が招聘する原子力のオーソリティである市川博士は、映画では佐藤慶が演じ、少しばかり狂気を感じさせるキャラクターになっていたものの、それ以上のものではなかった。それが『日本対俺』では、城戸と市川博士が、かつては師弟関係にあり、原子力の利用方法に疑問を持った城戸は、その世界を離れたことが明かされる。そして、原爆を個人が作ったことを称賛する博士の姿を盗み見た城戸は、喜びを露わにする。


前述した『笑う原爆』の圧倒的な面白さにあふれた内容に比べると、『日本対俺』は別ラインの映画――というより、明らかに失速している。城戸が市川博士へ父性を求めるあたりは多少興味深くはあるものの、それ以外は意図的に面白さを封じているとしか思えないほどだ。何より、城戸の作る原爆が、最後まで偽物でしかないというのが拍子抜けしてしまう。


冒頭では、黒づくめの男が原発に侵入するくだりがあるものの、それは城戸の犯行ではなく、パンダグループなる過激派組織が原発を襲い、プルトニウムを強奪したことが後に明かされる。やがて、パンダグループは城戸に接近して――という展開になり、銭湯で山下警部が一人で湯につかり、いつも顔を合わせていた城戸の姿を懐かしそうに思い浮かべるのがラストシーンである。


やたらと銭湯を出しては全編がはぐらかしの連続で、読み終わっても空虚感しか残らない。これが『笑う原爆』の改定稿とは、にわかに信じがたい。



題名を変え改訂されていった脚本(著者蔵)


――と、ここまで書いたところで、『太陽を盗んだ男』の助監督だった方に、別件の取材で話をうかがう機会があった。せっかくなので『日本対俺』について尋ねたところ、この脚本が〈ダミー台本〉であるという指摘を受けた。つまり、これはロケ交渉などを行う際に『笑う原爆』では断られることが目に見えていた上、内容も危険極まりないので、タイトルと共に内容も穏当なものに差し替え、ダミーとして用意したというのだ。


 それが事実なら内容の凡庸さも、意図的だったのではないかと思えてくるが、脚本にレナードと長谷川の名前が記載されている以上は、慎重な裏付けが必要となる。ここでは可能性として提示するのみに留めたい。


 続いて、クランク・イン1か月前に刷られた脚本が、『プルトニウム・ラブ』である。こちらは「第二稿」と書かれており、内容的にも『笑う原爆』を踏まえたものになっている。こちらのシーン数は242。『笑う原爆』から52シーン減り、無駄な場面が省かれ、完成した映画とほぼ同じ印象となっている。それでも、ここではまだローリング・ストーンズは来日することになっており、クライマックスでは、日本武道館も科学技術館も登場せず、『笑う原爆』と同様に、警察庁の屋上で城戸と山下の対決が描かれる。


 ここから、脚本は『日本を盗んだ男』を経て、『太陽を盗んだ男』になっていくが、その中で、完成した映画に見られるような設定へと変更されていくことになる。結果として、ローリング・ストーンズの来日描写が不可能となり、そこから武道館を見下ろす科学技術館の屋上を舞台にした名シーンへと転換していったのだから、むしろ怪我の功名というべきかもしれない。


 脚本改訂の履歴を辿ってみると、シーン数だけを見れば、297あった『笑う原爆』に比べれば、撮影に入る前の最終稿ではそこから100シーン近く減っている。しかし、基本的に枝葉を除去しているだけで、幹の部分はしっかり残されているため、大きく印象は変わらない。むしろ説明的な場面をどんどん削っているだけに、現場での描写力に負荷がかかっていくことになる。何より、シーン数をこれだけ減らしても幹となる場面がしっかり残っているだけに、予算にはまらないという問題は残り続けることになる。




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