©1979 TOHO CO., LTD. / Tristone Entertainment, Inc.
『太陽を盗んだ男』を放った、ゴジと呼ばれた男【そのとき映画は誕生した Vol.4 中編】
映画製作の光と影
ガムシャラに『太陽を盗んだ男』を実現させようとしていた長谷川和彦について、プロデューサーの伊地智啓は「とにかく撮影が始まったという現実を作んなきゃ潰されると必死だった」(『映画の荒野を走れ』)と証言する。つまり、いつ製作中止になってもおかしくない状況にあったというわけだ。
同時期、フランスで『ベルサイユのばら』をプロデュース中の山本又一朗は、長谷川にメッセージを送った。
「もうあと二ヵ月、二ヵ月したら俺は日本へ帰る、それ迄に原爆ストーリーを完成しろ、悩んでいるヒマがあれば、自分で書け、この作品が終れば俺は必ずそれをやる。その作品で日本中をひっくり返すんだ」(『太陽を盗んだ男』劇場プログラム)
国際的なマーケットを狙い、先鋭的な企画に挑戦しようとしていた山本は、長谷川の次回作へ再び挑むことを決意したのだ。その申し入れを長谷川は飛び上がって喜んだはずだが、それを素直に口にする性格ではない。山本の参加についてはこう語っている。
「又(山本又一朗)に金銭的なリスクだけバトンタッチして、やらせたわけだよな、又がやるっていうから。それは、俺にとっちゃ助かると。銭はオマエにまかしたぞ、宣伝もわしゃ知らんぞと、いってタッチした」(『月刊イメージフォーラム』創刊準備号)
もちろん、「金銭的なリスクだけバトンタッチ」というような都合の良い話があるわけがない。実際には、山本は条件としてファイナル・カット――つまり、映画の最終編集権を渡すことを求めた。
日本では基本的に監督の主張が強く、編集権は監督にあるものとされていたが、山本はその慣習をハリウッドのように、プロデューサーが最終編集権を持つスタイルに変えようとしていた。ところが、長谷川はそれに応じるつもりはなかった。だが、そこで言い争っては埒が明かない。とにかく撮影を始めることが先決と判断した長谷川は、2人の考えにそう違いがあるわけでもないのだから、編集権は2人にあるということにしようじゃないかと玉虫色の結論のまま話を進めてしまう。後にそれが大きな問題に発展するが、それは後編で詳述する。
山本の再合流が行われたことで、キティ・フィルム代表の多賀英典が証言するように、「結局、伊地智(啓)さんはプロデューサーから外れて、実際のところは山本又一朗プロデューサーになったんです」(『映画芸術』2020年夏号)という体制の変化を生じさせることになった。より詳しく言えば、山本が費用面や宣伝も含めた本作全体を統括する立場となり、伊地智は現場プロデューサー(ラインプロデューサー)として、撮影現場のスケジュール、予算管理などを担うことになった。
もっとも、伊地智が「長谷川にしてみれば、うまく山本と私を天秤にかけながらやってたのもややこしかった」(『映画の荒野を走れ』)と回顧するように、伊地智からすると、愉快なものではなかったようだが。
とはいえ、『太陽を盗んだ男』という映画のためには、金銭面のリスクを背負うプロデューサーの存在は不可欠だった。というのも、本作の製作費に計上されていたのは、2億5千万円。これは、当時の東宝が製作する上映時間2時間半以内で1本立ての大作――いわゆるAクラスにカテゴライズされる映画の製作費とほぼ同額である。例えば、市川崑監督の金田一耕助シリーズ第2弾『悪魔の手毬唄』(77)の製作費は、2億8千400万円である。
脚本から割り出された『太陽を盗んだ男』の製作費は3億7千万円。この1億円強のオーバー分をどうするか。最初にやるべきは、予算の枠内に収まるよう、脚本を改訂することである。それまでも、伊地智が脚本の短縮に手を焼いていたが、これは山本が主体となる製作体制に移行してからも改善することはなかった。
最終的に、山本と長谷川は話し合った末に、脚本を短く刈り込まないまま撮影へ入ることを決める。つまり、土地に収まりきらない大きさの家が描かれた設計図を修正することなく建設に入り、出来上がったものから削り取ろうというのだから、不経済きわまりない。常識的な映画作りからすれば、考えられない話である。
予算のオーバー分について、山本はタイアップで補う予定でいたようだが、『ベルばら』のようには上手くいかず、どこからも協賛する手が挙がらなかった。〈被爆国が作る原爆エンターテインメント〉は、企業からすれば過激すぎたということだろう。結果、山本の個人的な借金として1億円以上が丸々残された。それでも山本は怯むことなく、こう宣言した
「無駄をやらないところから映画が陳腐になっていくというのが僕の考えなんです。その無駄の中にどれだけ映画の魅力を拡げるものがあるのか、思い起こさなければいけない。だから、完成した脚本からは一歩も引かないというのが、今回のプロデューサーとしての僕のテーマでもあるわけです」(『キネマ旬報』79年夏の特別号)。
長谷川だけでなく、山本のこうした意欲も『太陽を盗んだ男』という唯一無二の映画を生み出す原動力になったことは間違いあるまい。一方で、「完成した脚本からは一歩も引かない」という無理を強行することで、その負担は撮影現場へ向かっていくことになる。終わりなき撮影が始まるのは、間もなくである。
後編に続く
前編はこちらから
※参考文献は「後編」に一括掲載します。
(中編・了)
1978年生。映画評論家。『映画秘宝』『キネマ旬報』『映画芸術』等に執筆。著書に『映画評論・入門!』(洋泉社)、『映画監督 大島渚の戦い』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、共著に『映画監督、北野武。』(フィルムアート社)ほか
『太陽を盗んだ男/4Kデジタルリマスター』
大ヒット上映中
配給: 東宝
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