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クリストファー・ノーランが真正面から描く怪物たち!『オデュッセイア』【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.76】

クリストファー・ノーランが真正面から描く怪物たち!『オデュッセイア』【川原瑞丸のCINEMONOLOGUE Vol.76】

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遠く曖昧な姿が恐ろしいセイレーン





 その後もキルケの助言により向かうことになった冥府とそこに現れる大勢の死者たちなど、不気味さに事欠かないが、最後に触れたいのはセイレーンだ。そこはそれまでのロケーションとは違い、上陸して訪れるのではなく、難所として通過するべき地点だ。セイレーンの歌を聴いてしまわないように部下たちが耳に蝋を詰めるのに対し、オデュッセウスは耳栓をせず、帆柱に自分を縛り付けさせて身動き取れなくした上で船を進ませるという有名な箇所である。原典のオデュッセウスは好奇心によってそんな無茶をするわけだが、映画ではそれだけでなく、歌が聞こえなくなったこと(危険な領域を通過したこと)を部下たちに示すためという合理的な理由も付加されている印象だ。映像の主観は船を漕ぐ部下たち(主に腹心のエウリュロコス)の側に移るので、観客にその歌が聞こえることはない。縛られた状態のオデュッセウスが解放を懇願し、苦痛にもだえ続ける姿を見せられるのみである。セイレーンの歌の凄まじさはこのマット・デイモンの演技によってのみ表現されている(誘惑に耐えきれず耳栓を外して歌を聴き、岩礁まで泳いでいってしまう部下も鬼気迫る感じでなかなか良かった)。


 特筆したいのはセイレーンそのものの姿がはっきりとは映らないことだ。遠くに見える岩礁の上にかろうじて人影のようなものがいくつか見えるのみなのである。実際にも数人の女性たちが岩礁のあちこちに配置され、またそのそばにはアザラシがごろごろと寝そべっており、実は人魚の姿でさえない。霧の中で人間とアザラシが一緒に寝そべっているだけで、それらしい姿を思わせるという、人魚伝承における誤認説(海洋生物を人魚の姿に見間違えたとする説)を逆手にとったような演出と言える。半身半獣の姿を曖昧にすることでそこになにがいるのかは確信させない。


 確かにそれまでキュクロプスやキルケなどが見せてきたインパクトに比べれば物足りなさを感じるのも無理はないし、この映画のタッチでその姿を大きく見せてほしかったというのもわかる。しかし、この遠目に曖昧ななにかが見えるという感じこそ、恐ろしげではないだろうか。船旅で海上になにかを見つけたという感覚が、どこか生々しいではないか。そんなふうに遠く離れたところにぼんやりと見えるような距離感なのに、歌ははっきりと聞こえてくるというのが、セイレーンという怪物の怖さとしてはぴったりな気がするのだ。それに、この一連のシーンで重要なのはセイレーンの姿形そのものより、その歌声とそこに語られていることを聴いて彼女たちのところに泳いでいきたい衝動に駆られるオデュッセウスの反応の方だろう。セイレーンのいる岩礁が遠くにあるのも、より近くまで行きたいという衝動を際立たせる。


 ちなみにぼくが個人的に気に入っているバージョンのセイレーンは人魚タイプではなく、人面鳥タイプだ。頭部が人間の女性であり、首から下は鳥という、キャッチーさの欠片もない不気味なスタイルだが、元々古代ギリシャ美術ではこの姿のほうが主流であったとされる。岩礁で寝そべっているのではなく、それが直接船上へと飛来するというのも怖さ倍増。この映画のタッチに合うかどうかはともかく、そのようなあまりに怪物的な姿を、極力実物志向にこだわるクリストファー・ノーランならどのように描いたのかは気になる。とは言え、本作はそんなアクの強い怪物感より、遠くになにかいるというさりげない恐ろしさを取り、単純な人魚タイプとも違いをつけて見せた。


 セイレーンの後はカリュブディスとスキュラというのが現れるわけだが、正直それらはもはや怪物の姿を取ってはいない。前者は渦潮そのものだし、後者は岩肌の一部がそのまま触手のように伸びてくるという具合だ。オデュッセウス以外の仲間たちの全滅という結末に向かっていくにつれて、極力現実離れしたものは出さないという意識なのか、あれもまたキュクロプスから連なる怪物たちのひとつの見せ方なのか。いずれにせよ、キュクロプス、キルケ、セイレーンと並べてみると、本作で登場してきた怪物たちはどれも一律の方向でデザインされていないことは確かで、その都度シチュエーションや語り口の必要に応じて全く異なる方法、基準で解釈がなされているように感じられる。


 本当にそこにいたらどうなるか、という質感をひたむきに追求していくノーラン作品にあって、このような異形の数々を一度に目撃できるのは非常に贅沢なことだと思う。あらゆる創作物の原点とも言うべき古典の映画化というだけでなく、ノーランが真正面から怪物や魔法を表現した作品として忘れられない一本となった。



イラスト・文:川原瑞丸

1991年生まれ。イラストレーター。雑誌や書籍の装画・挿絵、絵本など。映画のイラストレビュー等も多数制作中。

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