コンビニで叫びながら書いた脚本
Q:映画は、膨大な情報量に溢れながらも、力強いストーリーテリングでグイグイ引き込まれていきました。脚本も膨大かつ緻密に作られているかと思いますが、どのように作られたのでしょうか?最初から一気に書くのか?それとも部分部分を作って俯瞰的に組み上げていくのでしょうか?
長久:あまり緻密には作ってないですね。例えば、三谷幸喜さんのような緻密さは意識していません。僕は一文一文がすごく好きで、セリフを書くのが好きなんです。思いついたセリフみたいなのものを100個ぐらい書き溜めていて、それを頭から並べて物語にしていくんです。終わりを決めずに書き出してる部分もあるので、今作の主人公4人と一緒に冒険するように書きながら、物語を作っていった感じですね。
Q:伏線回収というと大げさかもしれませんが、前半に起こったことが後半にかけてしっかり収束されていきます。また、最後にいくにつれて映画的カタルシスを感じさせる盛り上がりも出てきます。セリフを並べて書かれたとはいえ、話の流れはかなりしっかりしていたと思いました。
長久:伏線を回収しようとしては書いてないのですが、書いていて「わっ!なに、伏線になっちゃった。恐い、恐い(笑)」って思ってました(笑)。最初のテーマ曲を蝶々夫人の「ある晴れた日に」にしよう。って何となく思って書いていたんですが、書き進めて調べてみると、それがたまたま煙を見ている曲だったりとか、いない誰かを思っている曲だったりとか、(映画では火葬場で両親が焼かれて出てくる煙を見上げるシーンがある。)調べれば調べるほど、映画と重なるものがどんどん出てくるんです。まるで運命に書かせられているような感覚でした。だから本当に計算はしてなくて、いつも「ワァーっ!」って驚きながら、コンビニで書いていたんです。ヤバい客でしたね(笑)。
Q:コンビニで書いてたんですか!?
長久:そうです。イートインで書いていました。すごいヤバい客だったと思います(笑)。
Q:そうなんですね。コンビニと言えば、ファミリーマートの入店音も効いてましたね。あれ、すごく好きです(笑)
長久:そうそう、ああいう日常の具体名詞とファンタジーが交差する感じとかはすごく好きなんです。