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『マディソン郡の橋』クリント・イーストウッド的エッセンスに満ちた、大人のラブ・ロマンス

The Bridges of Madison Country © 1995, Package Design & Supplementary Material Compilation © 2008 Warner Bros. Entertainment Inc. Distributed by Warner Home Video. All rights reserved.

『マディソン郡の橋』クリント・イーストウッド的エッセンスに満ちた、大人のラブ・ロマンス

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“最後のカウボーイ”としてのロバート・キンケイド



 親も兄弟も家族もいない。古ぼけた小型トラックひとつで世界中を旅する「ナショナル・ジオグラフィック」のカメラマン、ロバート・キンケイドはそもそもイーストウッド的なキャラクターといえる。


 「彼はどんな集団にも属さない、完全に孤独な男だ。自分が暮らす社会に適応できず、生活の大部分を旅のなかで過ごしてきたが、世界中のどんな場所に行き、どんな人に出会っても、内面の孤独は満たされなかった」(パンフレットより抜粋)


 とイーストウッドが語るように、彼は社会のはみ出し者であり、生粋のアウトロー。原作では、そんなキンケイドとフランチェスカの視点が交互に切り替わる構成になっていた。この小説が女性だけではなく男性読者からも愛読された理由の一つは、キンケイドのバックグラウンドをしっかりと描写することで、男性読者も感情移入できるように設計されていたからだ。

 

『マディソン郡の橋』The Bridges of Madison Country © 1995, Package Design & Supplementary Material Compilation © 2008 Warner Bros. Entertainment Inc. Distributed by Warner Home Video. All rights reserved.


 だがリチャード・ラグラヴェネーズによる脚本では、子供たちが母の秘密の日記を発見し、フランチェスカ視点で過去の「運命の恋」が語られる、という構成に変更されている。よってキンケイドのバックグラウンドは抽象的となり、どこからともなく現れ、いずこヘかと去っていく謎の男という、「流れ者の物語」としての構造が強まる結果となった。


 「流れ者の物語」…それはまさに、彼が今まで手がけてきた西部劇そのものではないか?キンケイド自身、自分を“最後のカウボーイ”と定義しているくらいだ。ストレンジャーの来訪と消失、という主題はそのままイーストウッド映画的主題に直結する。



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