2017.10.11
オペラ演出のきっかけをもたらした『マリー・アントワネット』
かくしてソフィアとオペラを再び繋いだ『マリー・アントワネット』(06)は、歴史上の悪女とされるマリーの心の内側をヴィヴィッドに描きだしたガールズ・ムービーだ。従来の歴史劇とは一味も二味も違う。すでに冒頭から小刻みなギターとドラムが鳴り響き、主演のキルステン・ダンストは美容のお手入れを受けながら、側にあったクリームを美味しそうにひと舐め。それから観客を見つめてフフと笑う。もはやこの時点からすでに観客はソフィアの術数にはまっており、我々はマリーという多感な女性の心象風景に触れながら、歴史の渦を彼女の目線で体感していくことになるのである。
さらにソフィアの演出にかかれば、音楽もさることながら、床に並んだたくさんの靴に紛れて、なぜか水色のコンバースのスニーカーがチラッと写り込んだりもする。これぞ彼女の遊び心。18世紀のヴェルサイユ宮殿での日々とコンバースを同じ画面に齟齬なく成立させてしまう大胆さとハイセンスこそ彼女の類稀なる持ち味なのだ。
もちろん、今回の「椿姫」にギターサウンドやコンバースが投入されることはないが、一方、ヴァレンティノが手がけたヴィオレッタの衣装などは、ある意味、ギターやコンバースにも増して時代を超越した圧倒的な存在感を放つものと言える。しかしいざソフィアの手にかかれば、ヴァレンティノの意匠(こだわり)が作品内で浮いて見えることなど全くなく、むしろ周囲の要素と見事なほど調和して、互いを高め合いながら提示されるのだから本当に驚きだ。
ソフィアは持ち前の感性を働かせながら、衣装や歌唱、演技、演奏、舞台美術といったあらゆる細部が、最終的にはキャラクターの人間性そして感情の高まりへと集約されていくよう、絶妙な采配を振るっているのである。まさにこの手腕こそヴァレンティノがソフィアに見出した、あらゆる細部をつなぐ“モダン”な才覚なのではないだろうか。