ポール・オースターと映画の関係
ポール・オースターは特に90年代に日本でも本好きの間で人気のある作家のひとりだったが、脚本を書いたのは『スモーク』が初めてだった。ただ、若い時から映画作りに興味があり、サイレント映画風のシナリオを試作品として書き上げたこともあったという(映画のエンディングはまさにモノクロのサイレントムービー風となっている)。
初めて映像化された彼の小説は「偶然の音楽」だった。この映画版、日本では『ミュージック・オブ・チャンス』(93)というタイトルで、ビデオだけがリリースされた。賭けに負けたギャンブラーが、ある金持ちの屋敷に閉じ込められ、石を積み上げる作業をやらされるという設定で、主演のギャンブラーはジェームズ・スペイダーが演じ、ちょっと先鋭的な感覚を持つ英国のフィリップ・ハースが監督した。オースターも小さな役で出演している(本人は映画の仕上がりに関しては、「まずまず」という印象を持っているようだ。個人的にはスペイダーは好演だと思うが)。
オースターの小説は人間の孤独や喪失感、不条理な感覚を描いたものが多いが、文章で読むのは素晴らしくても、映像化はむずかしい。その点、『スモーク』は映画用のオリジナル脚本なので、映画化がスムーズにいったのではないかと思う。
『スモーク』(C)1995 Miramax/NDF/Euro Space
中心人物はタバコ屋のオーギー・レン、小説家のポール・ベンジャミンで、ポールはオーギーの店の常連客のひとりである。ポールは、ある時、ラシードと名乗る黒人の青年(ハロルド・ペリノー)に路上で命を助けられ、彼を家に泊めるようになる。ラシードの父サイラス(フォレスト・ウィテカー)は家を出て、別の家庭を作っているが、ラシードは彼の場所をつきとめ、彼の店で働くようになる。一方、オーギーの前にはかつての恋人ルビー(ストッカード・チャニング)が現れ、オーギーと自分の間に生まれた娘(アシュレイ・ジャッド)がドラッグ中毒になり、ブルックリンに住んでいると告白する。娘は父に会いたがっている、とルビーは言う。
ポールにはかつて愛する妻がいたが、強盗事件の巻き添えとなり、亡くなった。彼女は妊娠しており、この事故のせいでポールは妻と未来の子供の両方を失う。
オーギーは毎日、カメラで店の前の風景を撮っている。その行為は14年間続いていて、すでに4,000枚の写真がストックされている。ある時、ポールがアルバムを見せてもらうと、そこには愛する妻のありし日の姿も記録されていた……。
主人公のポール、オーギー、ラシードは、みんな肉親や恋人に対して喪失感を抱えているが、運命のめぐりあわせにより、それぞれが別の局面を迎える。
とても静かな作品で、派手な事件は何も起きないが、ブルックリンのオーギーの店には不思議な魅力があり、さまざまな人種が集うことで、何か人間らしい血の通った温かさが感じられる。そして、登場人物たちの日常的な交流によって、新しい物語も生まれる。
オースターの他の代表作、たとえば「幽霊たち」あたりにあるような不条理な感覚はなく、庶民的で、心温まる世界が作り上げられている。かつて日本の下町にもあったようなオーギーのたばこ屋の描写のうまさが、この映画を支える大きな魅力だが、ワンやオースターも店のことが気にいったのか、スピンオフ的な作品、『ブルー・イン・ザ・フェイス』(95、同じくハーベイ・カイテル主演)を1週間ほどで作り上げている(ふたりの共同監督となっているが、BFIのインタビューでは「ワンが体調をこわして監督できない日があったので、僕が途中で少しだけ撮ったんだよ」とオースターは答えている)。
ジム・ジャームッシュ、ルー・リード、マイケル・J・フォックス、マドンナなども出演するラフなスケッチのような作品だが、そのおかしな人間模様が楽しく、ますますオーギーの店が好きになる。かつてのシングル盤にたとえれば、A面の『スモーク』、B面の『ブルー・イン・ザ・フェイス』、両面があることでオーギーの店の存在感が確かなものになっている(ちなみに店はセットではなく、ブルックリンに実在している)。