ストーリーテラー、ウェイン・ワン監督の手腕
オースターはその後、『ルル・オン・ザ・ブリッジ』(98、主演はハーベイ・カイテル)という単独の監督作品も撮っているが、残念ながら演出家としてはちょっと厳しい印象だった。『スモーク』の成功は、やはり、監督のウェイン・ワンの演出力があってこそだろう。
ワン監督はけっこう芸域が広く、インディペンデント系の低予算の小品から、ハリウッドのわりと大型予算の商業映画も両方作れる。香港出身の彼は80年代にアメリカのサンフランシスコをベースに映画作りを始めた。出世作は82年のモノクロ映画“Chan is Missing”で、この作品は80年代のインディペンデント映画界の草分け的な1本と考えられているが、日本には輸入されなかった。
日本で最初に公開されたのはトム・ハルス主演のミステリー『スラムダンス』(87)で、ロサンゼルスの迷宮的な感覚が印象に残る作品だった(『ランブルフィッシュ』(83)のテーマ曲のボーカルを担当しているスタン・リッジウェイのテーマ曲も良かった)。その後はオリバー・ストーン製作総指揮の大作『ジョイ・ラック・クラブ』(93)、ジェニファー・ロペス主演のロマンティック・コメディ『メイド・イン・マンハッタン』(02)、小品のドラマ『千年の祈り』(07)、東映で撮ったミステリー調の『女が眠る時』(16)などを撮っていて、何でもありの監督に見える。
『ジョイ・ラック・クラブ』予告
ただ、いくつか監督作品には共通点も見える。『スモーク』は作家オースターとの出会いが大きな意味を持っていたが、『ジョイ・ラック・クラブ』はエイミー・タン、『千年の祈り』はイーユン・リー、『女が眠る時』はスペインのハビエル・マリアスの小説の映画化である。文学的な作品に興味を持っていて、ストーリーテリングがうまい。
オースター自身はワンのことを「感性が鋭くて、心が広く、ユーモアがある。しかも、たいていの芸術家と違って、自分のエゴを満足させるために創作をおこなったりはしない。創作が天職なんだ」と語る(「スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス」新潮文庫、ポール・オースター著、柴田元幸他訳より)。
職人的な気質が強い監督だが、人間の心理描写がうまく、一見、平凡に思える人物が隠し持っている秘密やドラマにじわじわと迫っていくのだ。