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映像の魔術師フェリーニが『8 1/2』で描きだすイマジネーションの泉

(c)Photofest / Getty Images

映像の魔術師フェリーニが『8 1/2』で描きだすイマジネーションの泉

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幻となったもう一つのラストシーン



 クライマックスの大団円、主人公の人生に関わった人たち全員が発射台の階段から降りてきて、輪になって手をつなぎ、その間を道化師たちの楽団が行く。いちばん後ろで笛を吹く少年は、少年時代のグイドだろうか。彼がトコトコと歩き去っていく様は永久に記憶から消え去ることがないほど可愛らしく、哀愁にあふれ、印象的だ。


 実はこのラストにははじめ別の映像が用意されていた。主人公がふと顔を上げると、そこは鉄道の食堂車で、周囲には人生に関わった人たちが真っ白な衣服に身を包んで、微笑みながら彼を見つめている————。


 もともとフェリーニには走行中の列車内で生まれたという伝説がある。実はそれは誰が流布したのかわからない全くの作り話らしいのだが、見方によってはこのラストも、フェリーニが自身にまつわるフィクショナルな伝説を逆手にとって、目配せのように仕掛けた顛末のように思えなくもない。



『8 1/2』(c)Photofest / Getty Images


 だが、のちに予告編用の追加撮影を行ったところ、発射台の周りでの手をつなぐ大団円が思った以上にうまく撮れた。それを関係者が見比べたところ、祝祭的な後者の方を推す声が多く、最終的にこちらが採用されたとのこと。元の列車バージョンもきちんと保管するように命じていたのだが、しばらくするとネガがどこに行ったのか誰にもわからなくなってしまったという。


 このようにあらゆるものを幻想的な靄の中へ包み込んでいくのも、光と影、喜びと哀しみ、夢と現実の狭間をたゆたう映像の魔術師、フェリーニらしい一面だ。


 まさに人生はサーカス。彼が我々に遺したイマジネーションあふれる世界は、これからさらに100年、200年たっても果てることなく、人々を変わらず魅了し続けてくれるに違いない。



参考資料

「フェリーニ 映画と人生」トゥッリオ・ケジチ著、押場靖志訳(2010/白水社)

「フェリーニ」ジョン・バクスター著、椋田直子訳(1996/平凡社)



文:牛津厚信 USHIZU ATSUNOBU

1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンII』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。



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