国籍、宗教、民族が複雑に絡み合う街の勢力図
さて、警官トリオが遭遇する住人たちを紹介しよう。まず、アフリカ移民とその子供たち。彼らから”市長”と呼ばれている団地のドン、彼はフランス語でMAIRE(市長)と背中にプリントされたサッカー・シャツがトレードマークだ。他には、ケバブ屋を営むサラーが支配するムスリム(イスラム教徒)たちや、街でサーカスを興行するロマ(中東欧からやってきた移動型民族)たち、いざという時に警官たちがすがるハイエナが仕切る麻薬組織、等々だ。
つまり、ボスケは国籍と宗教と民族が渾然一体となった 21世紀ヨーロッパの縮図であり、貧困と差別がもたらす絶望と怒りが充満としているという意味では、世界の縮図とも言えるわけだ。
『レ・ミゼラブル』(c)SRAB FILMS LYLY FILMS RECTANGLE PRODUCTIONS
そして、事件は起きる。アフリカ移民の少年イッサが、サーカス団の子ライオンを盗んだことで、犯人を探す警官チームと子供たちが衝突。その際、パニックになったグワダが発煙弾をイッサの顔に発射してしまったのだ。その場面を少年の1人がドローンで撮影していたために、事態はさらに複雑化する。撮影データを何としても手にしたい警官チームはいつものように裏工作に長けたハイエナに泣きつき、子供たちは市長に助けを求め、ドローン少年はサラーの店に駆け込む。
市長はこれを機に、常日頃横暴極まりない警官を潰せるのではないかとサラーに詰め寄るが、2人は決して一枚岩にはなれない。こうして、市長vsサラーvs警官vs警官側のハイエナという、四つ巴の対決へと発展していく件は、狭い街の中で別々に存在していたグループの素顔が鮮明になり、作劇としてはとてもスリリングだ。
『レ・ミゼラブル』(c)SRAB FILMS LYLY FILMS RECTANGLE PRODUCTIONS
また、横暴な警官クリスにも守るべき家庭があり、自身も移民2世であるグワダの、混沌の中で自己を見失ってしまった状況には情状酌量の余地はないだろうか。3人の中では誰よりも冷静で、物事の是非を判断できるステファンも含めて、ここには、生まれながらの悪人など誰一人登場しないことに胸を突かれる。
いったい、誰が彼らを追い詰めたのか?もはや、ステファンのような良心だけでは修復不可能な社会の荒廃が、『レ・ミゼラブル(悲惨な人々)』というタイトルに帰結する時、誰もが言葉を失うに違いない。