傑作にいち早く目をつけたエルトン・ジョンの才覚
多くの人はこの映画が大ヒットしたから二匹目のドジョウを狙うかのようにミュージカル制作が開始されたと考えるかもしれない。だが事実は全く違う。すべての起点となったのはエルトン・ジョンだ。この映画版『リトル・ダンサー』がカンヌ国際映画祭で初お披露目された時、偶然、彼もその会場で鑑賞していた。その際、エルトンは、スクリーンに映し出された“主人公と父親の関係”に自分と重なるものを感じ、映画を見ながら号泣してしまったという。
エルトンとビリー・エリオットは確かに似ているかもしれない。エルトンもまた幼い頃から音楽の才能に目覚め、王立音楽院を受験し合格。その後、伝説的なキャリアを歩んで現在に至ることはご承知の通りだと思う。そんな彼には父親との関係性に苦悩した時期があった。人前だと全く愛情表現を表さず、愛しているとも言ってくれない父。彼のパフォーマンスを観に来ることさえ一度もなかった。もっとも、映画『リトル・ダンサー』に登場する父親は、息子への無理解を乗り越えて、彼自身も“心に電流が走った”かのような衝撃を得て、その後は息子の夢を叶えてやろうと必死に奔走する。そんな一連の変わりゆく父親の姿に、エルトンが激しく胸打たれたのは当然のことと言えよう。
さらにカンヌでの上映後、彼のパートナーでもあるデヴィッド・ファーニッシュが「これって素晴らしいミュージカルになるんじゃないか?」と発案したことがエルトンを大きく突き動かすことに。彼はさっそくスティーブン・ダルドリーやリー・ホールらに「ぜひ私のアイディアに耳を貸して欲しい」と提案し、ミュージカル化に向けての第一歩が始まっていった。もちろん音楽監督を務めるのはエルトン・ジョン自身だ。持ち前の引き出しの多さから、彼は労働者の組合歌や聖歌、さらには伝統的に根付いてきた民謡などの音楽様式を駆使しながら、舞台を彩る多種多様な楽曲を作り上げていった。そのどれもが感情を揺さぶる素晴らしいものばかり。
『ビリー・エリオット ミュージカルライブ/リトルダンサー』予告
映画版『リトル・ダンサー』が舞台化へと進化を遂げる背景には、何よりも本作に魂を突き動かされた者たちの“熱い想い”が大きく介在していた。決してエルトン・ジョンだけではない。製作に参加した一人一人がこの物語に共感し、自分の夢を必死に掴もうともがいていた過去を思い出し、家族に、そして懐かしき故郷に、精一杯の想いを馳せたことだろう。
いわばこの映画には誰しもの心を原点に立ち返らせてくれる力がある。そうやって、劇中でビリーが言うような「踊っている時、心に電流がほとばしる感じ」は、作り手から観る者へと受け継がれ、受け取った人からまた新たな創造性が生まれていくことになる。このいわば“情熱のリレー”をエルトンは舞台化という彼なりのやり方で昇華させたのだし、私たちもまた、この映画によって日々の悩みや困難を乗り越え、周囲の人たちの愛を確かめ、落ち込んだ時に初心にたちもどる原動力を内に宿し続けることができる。
これこそ映画『リトル・ダンサー』が公開から17年を超えても決して色褪せず人々に愛され続ける理由であるし、舞台版「ビリー・エリオット」が’05年の初演以来、12年にわたって多くの観客動員、さらには熱心なリピーターを生み出し続けるゆえんでもあるのだろう。