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永遠の名作となった『ウエスト・サイド物語』時代を先取りする革新性と舞台からの完璧な映画化

(c)Photofest / Getty Images

永遠の名作となった『ウエスト・サイド物語』時代を先取りする革新性と舞台からの完璧な映画化

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『ウエスト・サイド物語』あらすじ

ニューヨークのダウン・タウン、ウエスト・サイド。移民の多いこの街では、二つのグループが何かにつけ対立していた。リフをリーダーとするヨーロッパ系移民のジェット団と、ベルナルドが率いるプエルトリコ移民のシャーク団だ。ある日、ベルナルドの妹・マリアはシャーク団のメンバーに連れられて初めてのダンスパーティに出かける。マリアはそこで一人の青年に心を奪われる。しかし、それは許されない恋だった。彼の名はトニー、対立するジェット団の元リーダーだった……。


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舞台初演時は「そこそこ」の成功だった



 スティーブン・スピルバーグが、自身初のミュージカル作品としてリメイクに取り掛かっているように、『ウエスト・サイド物語』は時を超えてその輝きを失わない稀有な傑作である。


 ちなみに1961年の映画版の日本公開タイトルが『ウエスト・サイド物語』で、劇団四季の上演版「ウエストサイド物語」、ブロードウェイの上演版、あるいは来日公演などで使われる「ウエスト・サイド・ストーリー」などタイトル表記は複数あるが、ここでは混乱を招くので映画のタイトルで統一する。作曲家レナード・バーンスタインと、振付家ジェローム・ロビンス、劇作家のアーサー・ローレンツが『ウエスト・サイド物語』に着手したのは、いまを遡ること70年前の、1946年のことだった。


 バーンスタインとロビンスは、バレエ作品「ファンシー・フリー」を共作しており、同作は『オン・ザ・タウン』というミュージカル作品に発展。映画化もされ『踊る大紐育』(49年)として成功していた。「ロミオとジュリエット」を現代のミュージカルとして描きたいと考えたロビンスは、ニューヨークのロウワー・イースト・サイドで、ストリートギャングの抗争に、ユダヤ人の青年とカトリック教徒のイタリア人娘の悲恋を重ねた作品を構想。しかしバーンスタイン、ローレンツら多忙な3人のスケジュールによって制作は延期を繰り返す。やがて時代の状況に合わせて舞台はウエスト・サイドに変更。ニューヨーク生まれのポーランド系青年と、移民としてニューヨークに来たプエルトリコ系の娘が主人公となった。この翻案によって、作詞家としてスティーヴン・ソンドハイムが迎えられる。



『ウエスト・サイド物語』(c)Photofest / Getty Images


 ロビンス、バーンスタイン、ソンドハイム、ローレンツという、ミュージカルの黄金チームによって、『ウエスト・サイド物語』は1957年、ブロードウェイのウィンター・ガーデン・シアターで幕を開ける。当時としては、あらゆる要素が画期的であった。ミュージカルなのに悲劇的なラスト。クラシックの要素を取り入れたバーンスタインの音楽。これらが観客に戸惑いを与えたのも事実で、後にここまで語り継がれる作品になるとは誰も予想しなかっただろう。前年の『マイ・フェア・レディ』が2,717回(当時の史上最多)、1959年の『サウンド・オブ・ミュージック』が1,443回という初演時のロングランに比べ、『ウエスト・サイド物語』は732回でクローズしており、トニー賞でも振付と装置の2部門しか受賞していない。


 ブロードウェイの人気ミュージカルが映画化される流れは、やや時代を遡って、『オクラホマ!』(初演1943年→映画化1955年)、『南太平洋』(初演1949年→映画化1958年)、『王様と私』(初演1951年→映画化1956年)、『マイ・フェア・レディ』(初演1956年→映画化1964年)、『サウンド・オブ・ミュージック』(初演1959年→映画化1965年)と「常識」となっていた。『ウエスト・サイド物語』は初演からわずか4年後に映画が公開されている。このインターバルの短さに加え、他の作品に比べてダンスの要素が濃厚であることから、振付家のジェローム・ロビンスがそのまま映画版に全面的に協力することは必然となった。



『ウエスト・サイド物語』(c)Photofest / Getty Images


 映画版『ウエスト・サイド物語』は、そのジェローム・ロビンスとロバート・ワイズが共同監督としてクレジットされている。ロビンスは振付家としてダンスシーンを中心に演出し、ミュージカル映画の経験がなかったワイズを助ける……というのは、あくまでも前提で、完璧主義者で自己主張も強いロビンスのこだわりによって、ダンサーたちには肉体的に過度な要求がなされ、大幅なスケジュールの超過、予算オーバーの危機を導き、結局、撮影の終盤でロビンスは現場を離れることになった。



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