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『フェアウェル』愛情に嘘はつけない ――“違い”を認める優しき家族劇

(c) 2019 BIG BEACH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.1668

『フェアウェル』愛情に嘘はつけない ――“違い”を認める優しき家族劇

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行動規範が全部“愛”。ゆえに悪人がいない



 ここで重要になってくるのが、ビリーや親戚一同の行動について。このポイントは、「登場人物が“愛で動く”こと」に沿ってご紹介しよう。


 そもそも、ちょっと立ち止まって考えてみると、バレないようにふるまうのであれば、一番手っ取り早いのは本人と会わないことだ。そうすればボロが出ることもない。だがそれなのに、本作の家族は、兄も弟も、家族総出で祖母に会いに行く(ビリーは「ウソがつけないから」という理由で両親に留守番を命じられるが、無視して駆けつける)。ここに、息子たちの愛情(+母を故郷に残してきてしまったという自責の念)が存分に感じられて、とても興味深い。


 つまり、彼らの行動規範は、「目標を達成すること」ではなく、「愛情」に起因している。そもそもの「祖母に真実を告げず、看取る」という目標設定も、祖母を愛するが故だ。愛するから嘘をつくが、愛するからそばにいようとする。この部分が“笑い”を生み出すし、暖かな涙も生じさせる。つまり『フェアウェル』は、悪人がいない、善人だけの不器用な思いやりの物語でもある。



『フェアウェル』(c) 2019 BIG BEACH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.1668


 後述するが、ここでは東洋と西洋の考え方の違い、が1つのキーとして機能している。祖母の病状を伝えるかどうかで、ビリーは「アメリカでは本人に隠すのは違法だ」と主張するが、現地の医師は「中国では知らせません。傷つけないための“いい噓”です」と諭す。


 さらに伯父からも「西洋では個人の命はその人のものだが、東洋では家族や社会の一部」と言われてしまう。皆の考え方が大きく異なりビリーは困惑するが、注目したいのはどの考え方も共通して、愛でできているということ。


 愛するからこそ、伝えたい(どう生き、どう死ぬかは個人の尊厳だ)という考えと、愛するからこそ、伝えない(残り少ない日々を、平穏に締めくくるのが優しさだ)とする考え。どちらを選ぶのかは難しい部分だが、こんな論争が発生すること自体が、皆が祖母を愛しすぎているほどに愛しているから。この根底もまた『フェアウェル』の魅力なのだ。


 ちなみに、ルル・ワン監督は是枝裕和監督をリスペクトしているそうで、本作の制作にあたって『歩いても 歩いても』(08)を繰り返し観たのだとか。確かに、この落ち着いていて物悲しく、それでいて優しさがにじむ作風は、是枝監督が描く“家族”にも通じる。



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