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『エンゼル・ハート』アラン・パーカーの世界観に染まる、ミッキー・ロークの悲哀

(C)1987 StudioCanal. All Rights Reserved.

『エンゼル・ハート』アラン・パーカーの世界観に染まる、ミッキー・ロークの悲哀

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ジャック・ニコルソンからミッキー・ロークへ



 映画化において重要だったのは、主役を演じる男優だった。この企画を実現するにあたって、パーカーの中では4人の出演者候補がいた。


 まずはジャック・ニコルソン。エンゼル役の候補だった。思えばニコルソンの70年代の代表作の1本、『チャイナタウン』(74)はチャンドラー風の世界観を意識した作品。その流れでいけば、ニコルソンを発想するのも無理ない。彼に会いに行ったが、どこか話がすれ違い、パーカーは別のキャストを考えることになった。


 次の候補者はマーロン・ブランド。ルイ・サイファー役として考えたが、こちらも、話がうまく進まなかった。


 3人めの候補者はロバート・デ・ニーロ。すぐにはいい返事がこなかったが、最終的にはハリー・エンゼルに仕事を依頼するサイファー役を演じることになった。


 そして、4人めの候補はミッキー・ローク。80年代のミッキーは最も期待されている若手男優のひとりだったが、当時の彼は扱いが難しい、という噂があった。「そのせいで、アラン・パーカーも仕事をする前に、まず僕と会って、少し話をしてから判断することになった」とミッキー自身はロジャー・エヴァートとのインタビューでコメントしている。



『エンゼル・ハート』(C)1987 StudioCanal. All Rights Reserved.


 パーカーに会ったミッキー・ロークは「この役を演じられるのは自分しかいない」と言いきったそうだ。当時の彼は『ランブルフィッシュ』(83)、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(85)、『ナインハーフ』(86)などに出演して、上昇気流に乗っていた。80年代に出版された英国の雑誌の「THE FACE」のカバーも飾っているが、その表紙には「80年代のブランド:ミッキー・ローク」(85年5月号)という文字が印刷されている。ブランド同様、ロークにはアウトサイダー的なイメージがあり、しかも、名門の演劇学校、アクターズ・スタジオの出身だった。


 ブランドは『乱暴者』(53)、『波止場』(54)に出演して50年代のハリウッドの反逆児となった。70年代のアウトサイダーは『ミーン・ストリート』(73)『タクシー・ドライバー』(76)のデ・ニーロ(彼もアクターズ・スタジオ出身)や、『ファイブ・イージー・ピーセス』(70)『カッコーの巣の上で』(75)のニコルソンだった。


 主人公のハリー・エンゼルは社会のモラルに背を向け、ひたすら闇の世界へ落ちていくキャラクター。一方、そんな彼を妖しい世界へと導くのがサイファーの役目。“究極の悪”の物語は、時代を代表する反逆児たちがいてこそ成立する、と監督は考えたのだろう(どちらの役もクリーンな個性の男優には演じられない)。


 撮影前にロークは高価なスーツを買い込み、デ・ニーロはスティッキと爪にこだわりながら、役を作り上げたという。


 ロークとデ・ニーロを起用した感想をパーカーは前述の映画サイトでこう振り返っている。「ふたりの共演場面は忘れることができない。そんな経験は今までなかったからだ。ふたりがいることでヒリヒリする感覚が生まれ、そこに火花が散る。彼らはいつも即興を始めた。作品が違う方向に行くと、最高のものにも、最低のものにもなる。いつのまにか、私が書いたシナリオとは違うものになっていて、私はいつもふたりをシナリオの方に引き戻そうとした。本当にすごい体験だった」



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