ヴィヴァルディの音楽と神話的な愛の記憶
素晴らしいのはマリアンヌの人物像だけではない。彼女の視線を受ける令嬢、エロイーズも、また、魅惑的な人物になっている。演じているのはフランスのセザール賞の受賞経験もある実力派、アデル・エネル。シアマ監督の長編デビュー作『水の中のつぼみ』(07)にも出演して、その演技力を高く評価された。今回、シアマはエネルの美しい顔をうまく撮っているし、彼女の心が変化するプロセスも丹念に描写される。
エロイーズはそれまで修道院にいた、という設定で、どこか「戒律」に従って生きている。だから、親の決めた縁談にも仕方なく従う。
しかし、より自由な世界で生きるマリアンヌと知り合うことで変化が起きる。彼女を通じて芸術の持つ奥深さに気づき、少しずつ心が解放されていく。
『燃ゆる女の肖像』(c) Lilies Films.
マリアンヌに教えられたのは絵画の魅力だけではない。彼女は音楽のことも知っていて、エロイーズの前でヴィヴァルディ作曲のヴァイオリン協奏曲「四季」の夏の一節をハープシコードで弾いてみせる。硬質な音のピアノではなく、より優雅な響きのハープシコードを使うことで、曲の内側に秘められた感情のニュアンスがうまく伝わる場面になっている。
アメリカの映画雑誌「フィルム・コメント」(19年11・12月号)に掲載されたインタビューで、シアマ監督はこの音楽について振り返る。
「多くの音楽を使わないことで、それがないことに対する人物たちの渇望感を観客に分かち合ってほしいと思いました。そして、あえて使う場合は、音楽の大切さを伝えるものにしたかった。そこで誰もが知っている曲にしました」
その結果、「四季」が選ばれたわけだが、この曲は後半にも登場し、主人公たちの内なる感情の高まりや愛の思い出を伝える役割も果たしている。
また、音楽だけではなく、オルフェの愛の神話もドラマの中で重要な役割を背負っている。この神話の中で妻のユリディスに先立たれたオルフェは死の国に行き、妻を返してほしい、と訴える。やがて、オルフェの思いが通じて、妻と一緒に地上に戻れることになるが、彼がある誓いを破ったため、妻は地上に戻れなくなる。
この物語をめぐって、マリアンヌ、エロイーズ、メイドのソフィが語り合う場面があり、それぞれの発言の中に女たちの恋愛観が浮かび上がる。そして、このオルフェの神話をめぐる発言が、「四季」の音楽同様、後半の大事なモチーフになっている。
『燃ゆる女の肖像』(c) Lilies Films.
映画そのものはシンプルな構成で、封建的な時代に閉じ込められた女性たちの心と体が恋愛を通じて開放される過程が描かれるが、そのディテールを見るといくつかの対比するイメージが現れ、こちらの想像力を刺激する。
たとえば、女性画家は肖像画を描くが、表現者ではないメイドは生花を見て(絵のかわりに)刺繍を作る。メイドが体にある処理を受ける場面では生と死のイメージが交錯する。オルフェとユリディスの別れの瞬間を描いた絵画とウェディング・ドレスを着たエロイーズの幻想的な映像の対比。見ていると多彩なイメージがふくらんでいき、その背後にある意味を考えたくなる。
映画全体をひっぱるのは若いキャストだが、令嬢の母を演じる女優にも注目したい。かつて『レインマン』(88)や『ホットショット』シリーズ(91~93)でキュートな魅力を見せていたイタリアの女優、ヴァレリア・ゴリノが伯爵夫人に扮して熟年女優の貫禄を見せていたからだ。気さくながらも、厳しさもある当時の貴族の女性像が印象に残る。こんなキャスティングにもこの映画の豊かさを感じた。
文: 大森さわこ
映画ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書に「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「週刊女性」、「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウエブ連載をもとにした取材本、「ミニシアター再訪」も刊行予定。
『燃ゆる女の肖像』
12/4(金) TOHOシネマズシャンテ、Bunkamuraル・シネマ 他全国順次公開
公式サイト:gaga.ne.jp/portrait/
(c) Lilies Films.