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『レザボア・ドッグス』タランティーノを貫くヤクザ映画のスピリット ※注!映画の結末に触れています。

『レザボア・ドッグス』タランティーノを貫くヤクザ映画のスピリット ※注!映画の結末に触れています。


男たちの間で交わされるもの、それはJINGI



 では本作を「圧倒的な存在」へと導いたものは何だったのか。巧妙なプロット、粋なセリフ、ユニークなキャラクター、バイオレンス、絶妙な音楽。その全てが欠かせない要因だ。しかしこれら全てを勢いよく貫き、映画の中を血潮のごとく熱く流れゆく精神が存在する。


 その正体をタランティーノの発言の中から探ってみよう。彼はかつて、自分が受けたインタビューの中で信じがたい質問をされたことがあったという。それは「なぜ、オレンジは最後に自分の正体を明かしたのか?」というものだ。なるほど、この映画のラスト、血だらけのオレンジは、彼を支えるホワイトに自身の正体を明かす。それを聞いて思わず苦悶の声を上げるホワイト。オレンジの顔面に拳銃を当てる。警察が踏み込んでくる。銃声が鳴り響く――――。この時、もしもオレンジが秘密を守り通していれば、自分自身を救うことができたはず。だがそうはしなかった。ホワイトとの間に芽生えた固い絆ゆえか、最後の最後で我慢できず、彼は自分の素性を打ち明けるのである。


 タランティーノによると、この時の二人の心理を十分に説明できるだけの言葉は英語に存在しないのだそうだ。しかし「日本語にはある」と彼は言う。それが「JINGI(仁義)」だ。彼はかねてより日本のヤクザ映画を始め、多くの作品にて仁義の洗礼を受け、その虜となり、彼らが育む精神に心から敬意を払ってきた。とりわけ濃厚なまでの影響が見て取れるのが、深作欣二監督の『仁義なき戦い』シリーズと言われる。




 そのスタートは戦後の呉のヤミ市。戦争から復員してきた若者たちが、そのギラギラとたぎらせた血を暴力の世界へと注ぎ込み、正義なき抗争劇を繰り広げるストーリーである。そこにはヤクザ者だけが理解するこの世界の掟、あるいは生き様がある。杯を交わしたり、兄弟分の契りを交わした者同士ならば、その運命は一蓮托生。仲間の仇は自分の仇でもある。自分の心情とは裏腹に人を殺めなければならないこと、さらには仇を取るべく死を覚悟して飛び込まねばならないこともある。


 73年公開の『仁義なき戦い』の一作目を取ってみても、序盤に獄中で取り結ばれる菅原文太と梅宮辰夫の血の契りもあれば、親分(金子信雄)が子分たちを言いようにこき使って振り回す山守組のお家事情もある。さらには緊張関係にありながら、互いの心根を察する菅原文太と松方弘樹の関係性も独特の味わいを残す。彼らは互いにもう引き返せないことを知りながらも、命を奪い合うどころか、互いに率直に本音で胸の内を語り合うのだ。


 言いがかり、裏切り、騙し合い。タイトル通りの「仁義なき」仕打ちも多数描かれるが、しかしその分、なんとか仁義を全うしようと汗を滴らせて必死に奔走する菅原文太のような生き方もある。そういった有象無象が人生の限りを賭けて衝突し、しのぎを削る様こそが本作の魅力。きっと若きタランティーノも本作を教科書のように仰ぎながら「仁義」という外国文化を見よう見まねで学んだのだろう。


 タランティーノは「仁義」について、彼なりにこう解釈している。「英語で言うところの慈愛(humanity)は超えないが、敬意(honor)は超える。たとえ不本意であったとしても、人がしなければならないこと。オレンジがホワイトに秘密を打ち明けた行為。また、その後の60秒でホワイトが成したこと、その全てが仁義だ」。



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