「聖なるもの」と「邪悪なるもの」。ジョン・ライダーの正体とは?
さてここからは、あまりにもストーリーが謎すぎる『ヒッチャー』について、筆者が完全なる独断と偏見と妄想で、個人的推測を書かせていただきます。異論・反論は受け付けないのでよろしく。
今回改めてリバイバル上映を見直して思ったのだが…ジョン・ライダーとジム・ハルジーは同一人物ではないだろうか?ジキル博士とハイド氏のように、神聖なるものと邪悪なるものが同居した存在ではないだろうか?よくよく観ていると、この映画でハルジーは何度も眠りに落ちている(もしくは眠りそうになる)。初っ端からウトウトしていて、危うく反対車線のトラックとぶつかりそうになるくらいだ。
それがスイッチとなって、もう一人の人格ジョン・ライダーが出現する。そして殺戮を繰り返す。まるで、自分自身と母親が共存している『サイコ』(60)のノーマン・ベイツのように。ハルジーがどこまで逃げても、すぐライダーに捕まってしまうのはアタリマエのことなのだ。
『ヒッチャー』© Filmverlag Fernsehjuwelen. All rights reserved.
最初は同じ身体を共有していたはずのハルジー=ライダーは、物理的に分離したのだ。「聖なるもの」(ハルジー)の力で抑えていた「邪悪なるもの」(ライダー)が、溢れ出てしまったのだ。ライダーがハルジーの頬にナイフを突き立てて「死にたいと言え」と迫るのは、「神聖なるもの」を殺すことで「邪悪なるもの」が「自分」を乗っ取りたかったからだ。
非常に奇妙な場面がある。ダイナーで二人が向かい合うシーンで、ハルジーは怯えながら「どうしてこんなことをするんだ?」と問いかけると、ライダーはコインをねっとりと舐めてからハルジーの両のまぶたに貼り付け、「自分で考えてみろ」と言い放つのだ。全くもって意味不明である。両のまぶたにコインを置く…。ギリシャ神話では、死者がステュルス川(三途の川)を渡って黄泉の国へ行く際に、賃金を払わないと100年間彷徨ってしまうという逸話がある。そこから、「黄泉の国への渡し船代として、葬儀の際に死人の両目に銀貨を置く」という習慣をもつ地域があるのだ。
『ヒッチャー』© Filmverlag Fernsehjuwelen. All rights reserved.
となると、ハルジーはすでに死んでいる存在なのか?ひょっとしたらオープニングの居眠り運転で事故死してしまい、三途の川=テキサスのハイウェイを渡りきるために、数々の試練を受けるという冥界ストーリーなのか!?己に巣食う「邪悪なるもの」を抹殺することがミッションなのか!?!?
妄想は尽きない。確実に筆者も『ヒッチャー』に心狂わされた一人である。
文: 竹島ルイ
ヒットガールに蹴られたい、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」主宰。
『ヒッチャー ニューマスター版』
2021年1月8日(金)よりシネマート新宿ほか全国順次公開
配給:アンプラグド
© Filmverlag Fernsehjuwelen. All rights reserved.