ドタバタ・ブラック・コメディ『バタリアン』
本編冒頭の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』に言及したセリフは、単なるファン・サービス以上の意味を持っている。
ロメロの作った『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』や、続く『ゾンビ』は、ゾンビの存在が本来的に持つ社会批判を巧みに顕在化させた「シリアス」な作品である。
一方『バタリアン』は『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が「事実を元にして作られている」世界だと前提にすることで、「これからアナタが鑑賞する映画はウソの出来事ですよ。」と念を押す形になっている。つまり、メタフィクション化しているのだ。
何をやっても所詮フィクションであるなら、登場人物たちの真剣な困難や死んでしまうようなトラブルも、どこまで行っても「ウソ」なので「ウソなのに本当のように怖がっている」と、コミカルな印象を持たせる効果がある。つまり、社会批判も含めたシリアスなロメロ「ゾンビ」作品に対し、強烈なブラック・コメディとして「全く別物」へと「ゾンビ」を構築し直したのである。
『バタリアン』(c)Photofest / Getty Images
加えて『バタリアン』には映画好きで脚本家から立身したオバノンらしいテクニックがふんだんに盛り込まれている。ゾンビの入ったドラム缶に「こいつはアメリカ陸軍ご謹製のドラム缶だ。漏れやしねえよ!」と言った瞬間にガスを漏らし始める。また、全裸で踊る女性キャラのトラッシュは「どんな死に方がイヤ? 私は大勢の老人に囲まれて、生きたまま齧られて死ぬのがイヤ。」と、奇妙な答えを印象付けてから、哀れゾンビの大群に齧られてゾンビになってしまう。脚本家らしい見事なフリとオチが楽しい展開だ。
また、タールマンの初登場シーンでは「めまいショット」とも呼ばれるドリーズームが使われている。ドリーズームはヒッチコックの『めまい』(58)で、高所恐怖症を印象付ける場面で使用されているのだが、スピルバーグの『ジョーズ』(75)で、ブロディ署長がサメの襲来を知った瞬間の場面も有名だろう。つまり「怪物の襲来」を表したことで有名なカメラワークと言える。
「初監督作には、その監督の全てが詰め込まれている」と言われているが、『バタリアン』は過去の名作で使用された卓越したテクニックの流用や、脚本家らしいセリフの応酬など、実にオバノンらしい作品になっている。