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『悪魔のいけにえ』ニューヨーク近代美術館MoMAにも永久収蔵されたホラー映画の頂点

(c)Photofest / Getty Images

『悪魔のいけにえ』ニューヨーク近代美術館MoMAにも永久収蔵されたホラー映画の頂点

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『悪魔のいけにえ』あらすじ

墓荒らしが頻発しているテキサス州。旅行中の若者たちは一人のヒッチハイカーを拾う。ガソリンを分けてもらうため近隣の家を訪れるが、立ち寄った家は殺人鬼レザーフェイスの家だった。人の顔の皮を被り電動ノコギリをふりかざすレザーフェイスに、一人また一人と殺されていくーー。


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アートと恐怖映画



 モダンアートの聖地と呼ばれるニューヨーク近代美術館・通称MoMAには、絵画だけでなく商品デザインや写真、ポスター、ひいては小津の『東京物語』(53)のような映画も収蔵されているという。なんとそこに、トビー・フーパー監督『悪魔のいけにえ』(74)も、マスターフィルムが収蔵されている。まさかのホラー映画である。


 古典的なホラー映画ということでは、ゾンビという概念を最初に映像化した、ジョージ・A・ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(68)も収蔵されているのだが、本作の場合、考えられる主な理由は、「史上最も怖く、独創的な映画」と評価されているからに違いない。本作以前も以降も、おびただしい数の恐怖映画が世界中で生まれてきたが、その中でも突出した稀有な存在だ。


『悪魔のいけにえ』予告


 しかし、いくら怖いからといって、なぜそれがわざわざ「アート」として世界を代表する美術館に収蔵されるのだろうか。そもそもアートってなんなのだろうか。定義は不確かで曖昧であり、人によって解釈は分かれるものだ。ただ、公約数的な解釈は存在する。


 例えば、「アートとは問題提起である」という見方がある。アウトプットの形態はどうあれ、深いレベルで考えさせるきっかけを持つもの。普段なかなか気づくことのできない、ものごとの本質を的確に捉え、提示する力を持つもの。そういう見解で言えば、本作は「怖さ」の本質を突き詰めようとしている一つの芸術形態である、と言えるかもしれない。


 一切の捨てカットが無く、徹頭徹尾「怖がらせること」に一直線に突っ走っていく。そう、この映画は非常に「機能的」である。怖がらせるという目的を成し遂げるために余計なものを排除し、無呼吸で走り抜ける、さながらアスリートのように機能性を突き詰めた存在。例えば、スピードにこだわり続けて異様に鼻先が長くなった最新の新幹線のように。例えば、レーダーをかいくぐるための防御機能と飛行性を突き詰めた結果、ボディと比翼が一体化したようなステルス爆撃機が生まれたように、機能を突き詰めていくと異形のデザインにたどり着く不思議(自然界では、昆虫や動物の形態にも当てはまる)。まさに機能美だ。


 本作も、才気溢れる若きトビー・フーパー監督が、まさに若気の至りでやりたいことをやり尽くした結果、映画的常識と非常識が混じり合い、当初想定していた場所ではなく、気がつくと、とんでもない境地にたどり着いてしまっていたような印象だ。


『エイリアン』予告


 『エイリアン』(79)製作前に、脚本のダン・オバノンが監督のリドリー・スコットに本作を見せ、「『悪魔のいけにえ』のように、宇宙を舞台にした恐怖に支配された映画を作りたい」と言った話は有名だ。恐怖とは何か。人は何を怖いと感じるのか。本作を鑑賞するということは、無意識レベルで恐怖の本質と向き合わざるを得ない、得難い体験なのである。


 導入がいささか長くなってしまったが、要は、SF映画の圧倒的な金字塔が『2001年宇宙の旅』(68)であるように、ホラー映画の金字塔は『悪魔のいけにえ』ということである。勘違いしてはいけないのが、「スプラッター映画」や「スリラー映画」の金字塔では決してないということだ。ホラー映画とはあくまで「怖がらせる映画」というジャンルのことなのだ。


 では、この映画の何がそこまで怖いのか。それを知るには、まずは時代背景を理解する必要がある。



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