『恋人たちの予感』は女と男をどこまでも平等に描く
『恋人たちの予感』が、監督のロブ・ライナーと脚本家のノーラ・エフロンの実際の会話から生まれたのはひとつの事実ではある。でもこの映画が革命的だったのはそれだけが理由ではない。あらゆる細部において女と男の力関係を完全に平等に描いたからこそ、時代を超え、いまも名作として語り継がれるのだ。
男女の平等性。それは、会話だけでなく、男女の映し方においても言える。画面のなかのサリーとハリーは、つねに横並びで映される。セントラルパークを並んで歩くように、新居でカーペットを広げるときも、ふたりは横に並び同じ方向を見つめている。車の運転席と助手席に座る構図は飛行機のなかでもくりかえされ、別々の部屋で同じ『カサブランカ』(42)を見ながら電話をする場面では、それぞれのベッドにいるふたりの顔を分割画面で見せる。彼らはつねに身体を同列に並べ、同じ方向を見つめている。ツリー用のもみの木を抱えて歩くときだって、どちらも前を見つめたまま。そんなふたりが正面から向かいあうとき、視線を絡め合うとき、何かが起きる。大喧嘩、気まずい別れ、思いがけないキス、あるいは最高の告白は、いつだって向き合うふたりの視線から誕生する。
『恋人たちの予感』(c)Photofest / Getty Images
どこまでも平等に、対等に会話をかわしてきたサリーとハリー。ふたりは最後、どんな構図で画面のなかに現れるだろう。
【参考文献】
Nora Ephron, “Introduction” in “When Harry Met Sally...”, Alfred A. Knopf, 1990.
Nora Ephron, “Nora Ephron: The Last Interview and Other Conversations”, Melville House, 2015.
文: 月永理絵
映画ライター、編集者。雑誌『映画横丁』編集人。『朝日新聞』『メトロポリターナ』『週刊文春』『i-D JAPAN』等で映画評やコラム、取材記事を執筆。〈映画酒場編集室〉名義で書籍、映画パンフレットの編集も手がける。WEB番組「活弁シネマ倶楽部」でMCを担当中。 eigasakaba.net