2021.05.27
言語の壁を乗り越えて
トム・クランシーのデビュー作である小説「レッド・オクトーバーを追え」は、レーガン元米大統領も激賞したと言われる大ベストセラーだ。クランシーは保険代理店で働く傍ら、余暇で小説を執筆し、1984年に発表した。同著を読んだ米海軍関係者もリアルすぎる描写に、思わず唸ったと言われるほど。その実写映画でメガホンを執るのはジョン・マクティアナン監督で、本作を監督する以前には『プレデター』(87)や、ブルース・ウィリスの出世作『ダイ・ハード』(88)などを手がけている。
閉ざされた状況の中での息詰まるドラマは、ある意味マクティアナン監督の十八番であり、その理由は『プレデター』や『ダイ・ハード』などの過去作を観れば明らか。前者の舞台は密林で、空間としては広大である一方、始終密林を描いた点では非常に限定的な空間に見える。後者も爆破が迫る高層ビルの中での密室劇であるし、そういう意味で言えば、ほとんど原潜内のシーンで構成される『レッド・オクトーバーを追え!』からも、共通性が感じられて当然というわけだ。
そして本作の特筆すべき点は、作品内における言語の切り替わりの妙である。ほとんどすべての観客は、ショーン・コネリーやサム・ニールやティム・カーリーがソ連人でないことを知っているし、彼らが英語を喋るのは当然で、疑問の余地はない。けれども、映画の冒頭のシーンでは、彼らソ連人役の英国俳優は、雄弁にもロシア語の会話を成立させ、完璧なまでにソ連兵を演じ切っている。。しかし、である。気づけばいつの間にか、誰もが自然に平然と“英語”で会話をしているではないか。
『レッド・オクトーバーを追え! 』TM & COPYRIGHT (C) 1989 BY PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.TM, (R) & Copyright (C) 2012 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
というのも、ソ連人役の俳優たちが英国出身なので、ロシア語を覚えるにしても冒頭数分のセリフを覚えるのがやっとである。全編ロシア語での撮影なんてのも少し無茶な発想だ。最初のロシア語のシーンだって、彼らはソ連の軍人ですよと説明するためのものであって、観客にそれが伝われば、それ以降は何語を喋ろうと構わないというケレン味の付け方だ。
つまり、どこかの場面から、ソ連人同士の会話を英語にスイッチしなければならない。そういうわけで監督は、軍事裁判を描いた古典名作『ニュールンベルグ裁判』(61)から、ある演出の引用を思いつく。スタンリー・クレイマー監督の同作では、独側の弁護士に扮するマクシミリアン・シェルの顔がアップになると、次の瞬間、その会話がドイツ語から英語に変わるのだ。次第にその会話がドイツ人同士のものであっても英語で行われ、その言語の切り替わりの処理は非常に自然なものである。英語とドイツ語とが入り混じるよりも、英語で統一した方がずっとスマートだ。
マクティアナン監督は、その手法からアイディアを借用し、ソ連の士官役が聖書の一節を口ずさむシーンで、その俳優の口元に向けて徐々にカメラをズーム、次に発せられる「ハルマゲドン(Armageddon)」のセリフを合図に、ロシア語から英語に切り替えた。次第にソ連軍の人間の誰もが英語を喋り出し、極めて自然な言語処理で、緊迫のドラマを小気味よく見せている。非英語圏のキャラが英語を喋るという点においてはハリウッド映画のお約束だが、本作のように少しのアイディアを用いれば、自然な会話劇を表現することも可能だ。そして、演じる役者が名優揃いならば、特にショーン・コネリーのような実力者であれば、映画はより一層の説得力を得ることができるのだ。
<参考>
映画『レッド・オクトーバーを追え!』Blu-ray, 音声解説
映画『レッド・オクトーバーを追え!』劇場用プログラム
1993年5月生まれ、北海道札幌市出身。ライター、編集者。2016年にライター業をスタートし、現在はコラム、映画評などを様々なメディアに寄稿。作り手のメッセージを俯瞰的に読み取ることで、その作品本来の意図を鋭く分析、解説する。執筆媒体は「THE RIVER」「IGN Japan」「リアルサウンド映画部」など。得意分野はアクション、ファンタジー。
『レッド・オクトーバーを追え! 』
スペシャル・コレクターズ・エディション
ブルーレイ:1,886円+税
発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメン
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