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『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』を生み出した、セルジュ・ゲンズブールの倒錯的な嫉妬

© 1976 STUDIOCANAL - HERMES SYNCHRON All rights reserved

『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』を生み出した、セルジュ・ゲンズブールの倒錯的な嫉妬

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性別の無効化



 ジェーン・バーキン演じるヒロインの名前はジョニー。ショートカットの少年のような体つきをした女性は、既に名前から性別を無効にさせている。『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』は、いわば両性具有を志向する恋愛物語といえる。ここにはセルジュ・ゲンズブールが抱える肉体的な倒錯願望をうかがい知ることができる。だが現在の視点から再解釈するならば、本作を「性別からの開放の物語」として捉えることの方が、いまを生きる私たちにとって、より親密な価値を持つだろう。


 再びウィリー・クラントと組んだ、耽美な撮影による官能的な映画『赤道』(83)における、鍛えられた肉体が運動する際の筋肉の動き。同じく、『シャルロット・フォー・エヴァー』(86)における、娘シャルロット・ゲンズブールの、性別が分化されて間もない、まだ幼い体。これらを見ても、映画作家セルジュ・ゲンズブールが、肉体を撮影することに大きな関心を寄せているのは明らかだ。



『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』© 1976 STUDIOCANAL - HERMES SYNCHRON All rights reserved


 恋人たちがトラックのタイヤにしがみついて湖に浮かぶシーンがある。全裸の恋人たちを旋回するカメラに、セルジュ・ゲンズブールとウィリー・クラントによる肉体への執着が炸裂する。このショットは、眩しい陽光に照らされた若い二人の筋肉と骨格の形を観客に意識させるのと同時に、恋人たちの性別の属性を無効化にしていく。少年のようなジェーン・バーキンの体つきも相俟って、ここでの湖に浮かぶ恋人たちの体は、性別から開放された二人の体なのだ。


 続くシーンで、ドレスを着飾り、満面の笑顔で走ってくるジョニーに、クラスキー(ジョー・ダレッサンドロ)は、拒否反応をみせる。クラスキーは「女性」を求めていない。しかし、この疾走シーンがとりわけ美しいのは、ジョニーが「女性的」な恰好を披露するのが、前述の性別からの開放を遂げた次のシーンであることだ。性別の反転に反転を重ねたことによる、更なる性別の無効化。それは性別の混沌として読み取れる。セルジュ・ゲンズブールは、ジェーン・バーキンを両性具有の使者としてスクリーンに投射する。




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