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『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』を生み出した、セルジュ・ゲンズブールの倒錯的な嫉妬
2021.05.29
混沌と嫉妬の果て
「ジェーンは自分の役になりきっていましたから、映画の中のジョーとの関係がセルジュの嫉妬心を搔き立てたのです・・・・。彼女はジョーの肉体に動揺していしまい、セルジュは自分の創造物に嫉妬してしまいました。」(パトヴァン役:ユーグ・ケステルの談*)
セルジュ・ゲンズブールの創造物に対する倒錯的な嫉妬が、サディズムを生んでいくと同時に、ジェーン・バーキンの知られざる能力を開花させていく。本作におけるジェーン・バーキンの、心身をトランスさせていく演技は、後年、ジャック・ドワイヨンと組んだ大傑作『ラ・ピラート』(84)での常軌を逸した演技に繋がっていく。『ラ・ピラート』での、壁中にナイフを突き刺す狂気の片鱗が、本作で垣間見えるのだ。
女性との性行為ができないクラスキーを散々罵ったあとに続く、ジョニーの「私は男」発言。あるいは、嫉妬で錯乱したパトヴァンの行為に息も絶え絶えになるシーン(ジェーン・バーキンは本当に窒息しかけたのだが、撮影が止まることはなかったのだという)。映画作家としてのセルジュ・ゲンズブールが、ジェーン・バーキンをサディスティックに追い込んでいく。その極みとして本作の「叫び」がある。
『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』© 1976 STUDIOCANAL - HERMES SYNCHRON All rights reserved
ジェーン・バーキンが俳優としてのセルジュ・ゲンズブールと共演した『ガラスの墓標』(70)における、「叫び」の続きがここにはある。むしろ『ジュテーム・モワ・ノン・プリュ』は、「叫びの映画」と言いきってしまっても過言ではないほど、ジェーン・バーキンの暴力的ともいえる叫び声が、作品全体に残響していく。ジェーン・バーキンへのサディズムは、セルジュ・ゲンズブール自身をも傷つけるサディズムでもある。
本作は、お互いの信頼関係を壊しかねないギリギリの情熱=芸術として成立している。撮影現場のセルジュ・ゲンズブールは、コーラの瓶の位置を1センチ調整することにも拘ったのだという。このエピソードに、元々画家志望だった稀代のトリックスターの情熱が表れている。『ジュテーム・モワ・ノン・プリュ』は、国籍や性別といった属性をギリギリの情熱で無効化した、桃源郷のような世界を後世に残すことに成功している。あるいは、かつてこんな世界を夢想していた大人たちがいたという希望を後続の世代に残している。
セルジュ・ゲンズブールが亡くなる数か月前、初めて本作を見た娘のシャルロット・ゲンズブールは、父親の留守電に次のメッセージを残したそうだ。
「魔法のような映画だった」
*ジル・ヴェルラン著/永瀧達治+鳥取絹子訳「ゲンスブール または出口なしの愛」(マガジンハウス)より。
映画批評。ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ 4K完全無修正版』
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